JunchanObachanのブログ

じゅんちゃんおばちゃんの夢日記

とがっていた頃と極楽とんぼ

おはようございます。

4連休2日目。

今日は朝早く自宅に行く予定でしたが、寝坊してしまいました⤵️

もう必要な物は無いのですが、いわゆる置きっぱなしですね、そんな物が有るので定期的に行っているのですが、夏までには長男と協力して終わらせる予定です。

私もそうだったのですが、実家を離れた時、置きっぱなしになっている物は誰しも有るのではないでしょうか。

そういう物は、いざ実家を整理するとなると凄く大変。今私が直面している事です。三男の物も残っているし、長男の私物も結構有る。

私の考えが甘すぎたんですね。

引っ越す時に実家の2階に取り敢えず運べると思いきや、2階は兄の荷物が置いてあり、押入れは両親が亡き後整理したのですが、時代物のタンスが入っているんです。

職人さんが作った物で、黒光りしてます。中身は空です。

なのでそこに物を入れる事は出来なかった…

生前に色々整理するのは大変な事なんですね。

でも、仕事しながら自分なりには頑張ったと思っています。

昔の私では出来なかった事ですが、そこは緩めにやっているんですよ。いっぱいいっぱいにならず、楽をしながら片付ける、それも必要なのかもしれないです。

と…これは言い訳ですね^_^

 

20代後半の私。

その頃は、一番尖っていたでしょうね、今なら分かります。

長男を連れて故郷に帰り、必死だったのもあったと思います。

二十歳過ぎに横浜に行った頃は、希望に満ちていて、尖っているというよりも、毎日が必死で楽しかったんですよね。

疲れも知らず、仕事や遊びに夢中だったあの頃。

Uターンした時の私は少し違いました。

仕事に対しては必死で、頑張りすぎる、そんな所は今でも有る私なのですが…

その頃は、いい加減な人を許せないみたいな所が強く前面に出てしまっていた様に思います。

例を挙げてみると

GWの様な行楽シーズンの頃だったと思うのですが、高速バスの出札をしていた時に、大学生の集団が居たんですね。

その日は満席で、キャンセル待ちの人が何人も居ました。新宿行きです。

発車の少し前に、大学生の集団の幹事みたいな男性が受付に来ました。5人だったか、結構な人数キャンセルでした。

今の私だったら、その人を責めるよりも「キャンセル待ちの人がいたので助かります」その言葉を最初に言ったでしょうね。

その時私は、その男性に対して「キャンセル待ちの人がずっと待っていたんですよ、もっと早く来てもらえませんか❗️」みたいに言ってしまいました。その手続きの為に、発車の時間はどんどん遅れていくというのも、言葉がキツくなる拍車をかけてしまったんですね。その男性は劣化の如く怒り出し「だから来てるだろ❗️お前名前は。」とすごい剣幕でした。私は「〇〇です」と答えた。

待っていた人側の気持ち優先になってしまっていて、言葉を選ばずに言ってしまったのです。

しかも、しれっと名前を答えるとは…

この時の私は、一番尖っていたでしょうね。

後にも先にも、年下の男性に怒鳴られたのは、その時一回こっきり。

だから今も、あまり良くない記憶として残ってしまったんですね。勿論、その方の顔なんて覚えいる筈もないですが。

それは仕事だからなので、日常では人に対してはそんな風には言えませんでした。言い返したいと思っても、言葉を呑み込んでしまうので、後で悶々とするのは今も変わらずです。

勤務先の男性に対しても、物事をハッキリ言っていたので、いつだったか、そろばん(何で有ったんだろう❓その頃は使っていたんでしょうね)で背中を叩かれた事も有りました。  

憎たらしい女でした⤵️

でも、一番丁寧に仕事を教えてくれたのもその人でした。

そのお陰で、私はその営業所の管理職の人に「貴方は私が見てきた中で一番仕事が出来る」と言われるまでに頑張ることが出来たんです。

その人は姉の同級生の男性で、背中を叩くほど怒った事は一回だけで、私を可愛がってくれてしょっちゅう呑みに連れて行ってくれました。

その時代は、私が一番飲み歩いていた頃です。

あっ、以前も載せた写真が有りました。

尖って、呑兵衛だった頃の私です。

何故この頃のお話をしたかというと…

昨日姉からのラインで、そろばんで私の背中を叩いた人の訃報を知らされたんです。

その人は、凄く背が高くて体格が良かったのですが、私の勤務先に数回買い物に来たことが有りました。私が会社を辞めてからは付き合いも無くなっていたので、最後に会話したのは昨年でした。

まだまだ若いのに…

あの頃、バブルも弾ける前だったので、運輸業は景気が良かった気がします。

貸切バスなども毎日運行していました。

その人は、私が妻だったら頭に来るだろうな、そう思うくらい呑みに連れて行ってくれました。勿論、私だけでなくて同じ職場の女性が他にも居ました。

時の流れを感じずにはいられません。

私がそんな風に楽しく呑み歩けたのも、長男をみてくれる両親がいたからこそです。

県外にいた頃の様に2人きりだったら、絶対に夜出歩くなど有りえなかったですね。

その事に対して、何の苦言も言わなかった両親…

晩年に、私が必死で出来る限りのことをしたのは、誰に強制されたからではない、その時を含め、ずっと見守ってくれた恩返しだったのだと思います。

両親の髪の毛をカットしたり、病院に毎月通ったり、たまに道の駅に行ってもろこし団子を買ったり、時が過ぎて、両親とそんな時間を持てた事は感謝以外の何ものでもないです。

今は、両親や、あの時の上司の男性、心から《ありがとうございます》と言いたいです。

誰しもいつかは旅立ちます。

分かっていても、準備など出来ない。突然その日がやってくる事の方が多いでしょう。

今は、夢ちゃんの年齢を考えながら、一日も長くこの子が幸せであって欲しい、そう思っている私です。

孫も可愛いです。でも、孫には長男夫婦が居ます。夢ちゃんには私しか居ないんですよね。だからこそ、ふたりで元気に過ごしたい、そう思います。

 

ファンヒーターですが、2店舗周りましたがもう置いて有りませんでした。

よく考えたら分かることでした。

どの業界も季節先取りですよね。

もう扇風機やエアコンが展示してありました。

それでも1件目の店舗の担当の方は、灯油を使うヒーターは扱っていないけれど、電熱ヒーターや電気のファンヒーターの在庫を出して来ましょうかと言ってくれました。

昔取った杵柄で(私はホームセンターで何年か働いた事がある)電気のヒーターは電気代が高いと勉強していたので、担当の方に聞いたら、やはりそうで1時間で30円程と教えてくれました。

私は「今は電気代も高いし、今どうしても必要な物ではないので、出して頂かなくて大丈夫です。又冬の初めに選ばせて頂きます」と言って店を後にしました。

ファンヒーターは、実家と付き合いのある電気屋さんに相談してみようかと思っています。コードだけ修理して貰えるのか。 

その為には、満タンにしてしまった灯油を抜かなければなりません。 

ちょっと手間取るので、後回しになってしまうかもしれないです。

暖房関係の商品が出始めた頃に8畳用のファンヒーターを購入するつもりです。

生活していると色々有りますが、そんな中で一日一日を生きていく、それって凄い事なのかもしれないですね。

「ゆめはケッケをせなかにのっけられて、おもたいよう…」

んな訳ないよね^_^

これからも夢ちゃんとふたり、楽しく生きていきたいと思います。

極楽とんぼ》とは私の事ですね❣️

色々な意味もある様ですが、極楽にいるトンボは、捕まえられる心配がないので呑気にしている、そういう意味合いは私にピッタリ…

結局は呑気ものなんです。

色々な事を乗り越えて来たとは思いますが、基本呑気な部分が追い詰められずに来れた様な気もします。

何かを成し遂げるにはあまりに歳をとりすぎましたが、でも、まだ諦めません。

そこは貪欲になりたいと思っています。 

 

それでは、みなさま、今日もいい一日になりますように。