JunchanObachanのブログ

じゅんちゃんおばちゃんの夢日記

みかんと落花生の思い出

今日は昼は日差しもあり暖かかったですが、風は冷たかったです。

午前中は整形外科でAKAの治療を終えた後、一日中のんびり過ごしました。

自分に甘いなと思いつつ、こんな日も必要なんだと言い聞かせたり。

早めの夕食を終えて、明日の早番に備えている私です。

今日の良かった事は夢ちゃんとずっと一緒にいる事が出来た事。

夜は、久しぶりに豚肉をあげました。

いつも鶏肉が多かったね。

夢ちゃんの立派なところは、お肉をあげても野菜もちゃんと食べるところ。


こんな風にまったりと過ごした日は、遠い日に思いを馳せる気持ちの余裕ができました。

寒い冬がやってくると、幼い日の事を思い出すことも多いです。

幼い頃、両親はいつも頑張って働いていました。

まだ小学校低学年の頃、両親は撚糸の仕事を手伝っていました。

その頃の私の住む地では織物が盛んでした。

その織物業で自分で会社を経営していた(多分)父は、詐欺にあって家も奪われました。

裕福な時代を知っている姉は

先日会った時に「小さい頃はパーマをかけていたよ」と話して、私は驚愕しました。

家にはいろりもあって、昔ながらの広い家だったらしいです。

私なんてざんぎり頭の記憶しかない。真っ直ぐに切ったおかっぱ頭です^_^

ちびまる子ちゃんそのものでしたね。

私は年齢非公開ですが(戦中じゃありません^_^)自分の幼い頃にパーマなんてあり得なかったので、いかに姉がいい思いをしていたのか驚いた次第でした。

私の記憶の中では、いつも両親は家に居なくて、昼も夜も働いていたんです。


撚糸の仕事は、糸の強度を上げるために糸を撚る工程です。

ボビンを高速回転して他のボビンに巻き取る作業。

巻き取っている糸が、夜に切れるんです。

そのために、冬の寒い時期両親はボビンを新しいものに取り替えて糸をつなぐ為に家を出ます。

弟と私はまだ幼かった為に、一緒に連れて行かれる事が多かったんです。

徒歩で 20分くらい歩いたか…

寒かったけれど、不思議と嫌ではなかった。

24時間稼働している工場の、狭い和室の部屋で弟と待っています。

梱包されてきた段ボールにビニールが入ったままで、その中に入って遊んでいたりしました。

帰り道、小さな商店で両親はみかんと落花生を買います。

それはいつも恒例だったように記憶しています。

家に着くとコタツの上に新聞紙を置いて、落花生をみんなで食べるんです。

私は落花生を特別好きではなかったけれど、こたつにあたってみんなで食べるのは楽しかった記憶しかありません。

子供心には真っ暗な夜、と言う印象でしたが、今思い起こしてみるとそんなに遅い時間ではなかったでしょう。

多分20時くらいだったか。

そんな風に働いていても、母はいつも手作りの食事を用意してくれました。

季節ごとに、おはぎ、柏餅、月見団子なども全て手作り。

それを思うと、今の自分が不甲斐ない。

ほんとうに母の子供なのかと思ってしまう。


もうすぐ寒い冬がやってきます。

そんな寒さの厳しい季節も、両親は私に暖かい記憶を残してくれました。

ふたりが居なくなって、実家に行く事も少なくなりました。

近日中に、実家で待ち合わせて弟とそんな話をしたいなと思います。

弟と私は、両親からは特に可愛がられていたように思います。

いえ、親は平等ですよね、でも、記憶を辿るとそんな風に思ってしまう。

弟は自慢の子供でしたが、私はきっと、ずっと心配な娘だったのでしょう。

だから夢に出てきてくれるのかな…

父には夢ちゃんを引き合わせる事が出来ませんでした。

先代のふたりが居なくなった事も告げる事が出来ませんでした。

母には会えた夢ちゃん。

「ふたりで仲良くやるんだよ」

きっとそう思ってくれている。f:id:JunchanObachan:20191030190401j:plain今朝も元気に散歩に行きました。

私は夢ちゃんのおしりの筋肉が大好きです。

プリッとしていてかっこいいんです。f:id:JunchanObachan:20191030190506j:plain

「おかあさん、夢のことほめた❓」

そう、褒めたよ。

おかあさんも夢ちゃんのようにいいお尻になりたいよ。

もとい、お前のように飄々と生きていきたい^_^


きっと夢ちゃんの存在は、父も母から聞いて知っているでしょう。

ふたりで頑張ります。


あの、幼い日から時間は続いて今があるのだから。