今日も一日が始まりました。
天候も良さそうです。
習慣で同じ時間には目覚めますが、いつもよりも行動は遅い私です。
仕事の日には封印しているコーヒーをゆっくりとたてて、もう2杯飲みました。
夢ちゃんには、昨日の残りの焼き芋(大好物)私のトーストのかけらを少しあげました。
パンにはワンちゃんには良くないものが入っているので、絶対にあげなかったのですが、休日はこんな気の緩みが出てしまいます。
先代のワンコは、基本はドックフードでしたが、人間のものを欲しがるようになってしまっていました。特に子供のムクは、自分の中でドックフードは非常食で、いよいよ何も貰えないと判断すると食べ始める始末。
こんな反省を亡くなってから話したら、三男は
「お母さん、それでもふたりは長生きしてくれたよ。病気もしなかった。美味しいものを食べられたのは良かったんだよ」と言ってくれました。
夢ちゃんにはもっともっと長生きをして欲しいので、添加物の入っているものはあげません。
夢ちゃんの偉いところは、ドックフードをちゃんと食べる事。野菜も摂るし、好き嫌いもない。
ふたりの分も頑張って生きようね。
たまに居間の天井を見上げる夢ちゃん。
ふたりが見えているのかな❓と思う瞬間は結構あります。
昨日ですが、早番の時にとても幻想的な富士山の写真を撮ることができました。私はこの写真を見て、富士山からの気みたいなものを感じました。
その時の気温や、風、光の当たり具合、などの気象状況がこのような風景を生み出したのかもしれないですが、私は富士山からのエネルギーのような気がします。
実際に肉眼で見たので、そのような不思議な感覚が伝わってきました。
その時に私は《夜明け》を感じたのです。
始まりの詩を歌っているようです。
昔実家の手作りの箪笥に、島崎藤村の《夜明け前》という小説がしまってありました。
何度となく目にしていたので今でも記憶に有るのですが、私は本を読むのが好きだったのにもかかわらずその小説は読みませんでした。
…木曾路はすべて山の中である…
その書き出しを知っている程度の知識しかありません。
あれはきっと、小説が好きだった母のものだったのだろう。
介護度が上がってしまってからも、母はよく小説を読んでいました。
晩年好きだったのは五木寛之さんでした。
母は年齢を重ねても乙女のような気持ちを持っていたようで、五木寛之さんの事は小説だけでなく人となりも好きだったようでした。
色々な思いを心に残してくれた母。
昨日の富士山を自分の記憶に残して頑張って行こうと思います。
そして私は、ちょっとおかしな事を考えてしまいました。
自分の人生は、時計に置き換えると今何時なのだろう…
年齢を3で割ると答えが出ます^_^
子供たちはまだ朝の8時近辺です。
人生これからなんだね。
私は…同じ8時でも夜の8時に近い事が分かりました。
一仕事終えてやれやれという時間なのだそうな。
いずれにしても、大昔に流行った《夕暮れ族》という言葉。
それよりもちょっと行っちゃったか。
夕暮れも過ぎた私なのだと感じながらも、夜明けは有るのだと思いたいです。
体は確実に衰えます。
私は見た目は元気なのですが、前のようには動けなくなってきているし。
でも、それでも、まだまだ夜明けは来るし、始める事だってあるんだ。
家路を急ぐのは、一日の終わりではない。
又、明日を始める為。
そんな風にもって行きたい。夢ちゃんはそんな事は考えてもいないよね。
いつも私の側に寄り添ってくれて、そして肩の力を抜いて生きているように見える。
「そんなことないよ、夢だってね、苦労はあるんだよ、あ〜ねむい」
この存在を大切にしていこう。
今日は何にも用事のない休日です。
なので2階の片付けを頑張ろうと思っています。
時間の流れはゆっくりなので、今から夢ちゃんのお散歩です。
この季節、少し冷たい風に吹かれながら歩くのは気持ちいいです。
皆様も、良い一日になりますように。