JunchanObachanのブログ

じゅんちゃんおばちゃんの夢日記

父の記憶を辿って思ったこと

おはようございます。 

昨日、日曜日は仕事でした。

私にとっては職場への復帰は、とても恵まれていたと思います。  

元々休みは多くなっていたので9日間休みましたが、欠勤は3日だけでした。 

しかも、復帰した日に分かったのですが、その3日間は全て有給にしてありました。

私は《休みたい》と告げただけなので、有給にしたのは上司の判断です。

迷惑をかけたのに、ほんとうに有り難く思いました。

1日頑張ったら2連休、そして、昨日も出勤したら今日明日はお休みなんです。

数ヶ月前にコロナに感染した人が《私は体調が完全に戻るまで2ヶ月以上かかったよ》と言ってました。

確かにそうかもしれないです。今の私は、全然食べられません。自分で持って行ったお弁当も、この前作った茶飯とかゼリーだけ。

それだけでもお腹は空きません。

味覚は有るのですが、好みが変わったのか、毎朝ドリップして入れていたコーヒーに砂糖を入れたくなりました。

私はコーヒー紅茶には砂糖は入れません。けれど、急に甘さが欲しくなったんですよね。

甜菜糖や蜂蜜を入れて飲んでます。

長男が持ってきてくれた袋入りのみかん(多分8個くらい入っていた)まだ有ります。

 

そして、今、色々なことが中断し(家の事は不動産屋さんに連絡済みです)

考えを落ち着かせた時

《そういえば、熱が出る前に両親が夢に出てきていた》思い出しました。   

夢の内容は、私が幼い頃、父が事業に失敗して大変だったあの小さな家(でも、家族全員で暮らしていて、不幸を感じた事はなかったです)がとても広くて綺麗になっているんですよ。

台風の時には父が外から窓に木を打ち付けていた、あの窓は綺麗なサッシになってました。

優しい両親の笑顔。

そんな夢の後の地獄…

今思えば、両親は『気をつけなさい』と伝えたかったのかもしれないです。

 

話は少し逸れてしまうかもしれないですが、最近熊出没のニュースが多いですよね。

私の地元でも、防災無線で《熊出没》を告げることもあるんです。

一昨日の夕方もそういうニュースに触れて、熊は駆除された…

その姿を見たら辛くなります。

動物のそんな姿を見たら、誰しも辛くなるでしょう。けれど、被害に遭って命を落としてしまった人も居るんですよね。

そう思うと、一言では言い尽くせない問題だと思います。熊が可哀想、それだけを訴えるのは違うと思います。生き物が共存するのは難しいですよね。

自分のテリトリーを守りながら、平和に暮らす事が願いです。 

私が幼い頃、小さな川を渡った向こうに、確か新聞社の社宅らしきものがあったと思います。

或る日、3才くらいの私は父のもとに走って行って

《おとうちゃん、あのおうちでうさぎをぶっこしてる》と訴えたらしい。    

私の記憶には無いんです。 

少し大きくなった頃に父から《お前はこんな風にびっくりして言ってきたんだぞ》と言われた記憶なんです。 

ぶっこす→南関東、北関東の方言

「こわす」「ぶちこわす」という意味。

実際、私は使った記憶が無い言葉です。

新聞社という事で、多分地元ではない人が、猟に出てうさぎをとったんでしょうね。

幼い私には、解体しているのが、あたかも人形を壊す様に映ったのだと思います。

記憶には全く残っていませんが、父の言葉から情景を思い浮かべる事が出来ました。

その建物は、とうの昔に無くなっていますが、そこに行く細い道は今でも存在します。

幼い私が父の元に走って行く姿が見える様です。

その頃の私は、多分不二家のペコちゃん似だったと思います。

赤いはなおの下駄を履いて、ひまわり🌻模様のワンピースを着て麦わら帽子を被っていた。

写真は有るのですが、あまりに昭和なので載せるのをやめました^_^

父は、そうやって言葉で色々な事を私に伝えてくれました。

人はそんな風に、昔から命をいただいて生きてきたんですね。

私が父に褒められた最後の言葉は

毎月病院に両親を送り迎えしている時

《お前は運転が上手くなったな》と言ってくれた事。晩年、ずっと一緒にいる事が出来て良かった。

私が今回、呼吸困難になったのは、父に体質が似ていたのもあったのかもしれません。

父はよく、風邪をひくとゼーゼーしてました。

《気をつけるんだぞ》そう言いたかったのかな。

両親が頑張って生き抜いた年齢までまだだいぶ有ります。

人は年齢を重ねた時進化ってあるのでしょうか❓ 

現状維持が最大の進化なのかな…

それでも頑張って生きていこう、そんな風に思えました。

そして、今回新たに確信を持った思いがあります。

それは《自分が辛いとか苦しい事を体験した時、人がそうならない様に願う事、そして、人に対して自分がした事の見返りは期待しない事》

コロナの、あんな辛い思いは誰にもして欲しくないです。もっと辛い人も沢山いたでしょう。後遺症も心配ですが、無理せずに体力を回復していきたいです。ワクチンに関しては、今意見を述べるのは避けたいと思います。

そして、人に対してした事のお話ですが、今回感染した時に、勤務先の子がラインで《何か買っていきます、夢ちゃんの散歩もやります》と言ってきてくれたんです。

その子の家族が感染した時、道に迷いながらも色々届けたのを覚えていてくれたんですね。

でも、私は固辞しました。

つい最近まで、子供2人が溶連菌に感染して大変だったんですよ。それなのに、そんな風に言ってきてくれる、その気持ちだけで有り難かった。

人って、心のどこかで、何かをした時に、その見返りを期待してしまうところがあると思うんです。

人に対して、何かをしてあげたいと思う気持ちや、それを実行した場合、そこで完結する方がいい、それは自分個人の考えですが、そう思いました。

巡り巡ってそれが返ってくるということわざ《情けは人の為ならず》

やんわりと、いつかいい事あるかも❓と思っているくらいが幸せですね。

今、正直な気持ちを話しますと、私の姉の話です。コロナに感染した時、苦しかったのも有りますが姉にはあえて連絡しませんでした。

気を遣わせてしまうと思ったのですが、回復してから用事もあり姉に話したら『何も出来なくてごめん』簡潔すぎるラインに少し『えっ❓』と思ってしまった私なんです。

後からわかった事なのですが、姉はその時、インフルエンザの予防接種の後で少し発熱していたらしい。

私という人間もまだまだですね。

やっぱり、どこか期待してしまうこころがあるんですね。身内だったから尚更なのかもしれないですね。

こんな私ですが、これからも、自分らしく生きていきたいと思いました。

夢ちゃんの安心した背中です。

こんな風に背を向けるのは久々でした。

苦しい時は、少し離れてじっと見ていた夢ちゃん。

今日の2時頃です。

眠れなくなって、ふと見ると夢ちゃんがこんな風に寄り添ってくれていました。

友達が送ってくれた虹。

今日もきっといい日になる。

そう思える虹。

皆様の下にも届きますように。

いつも、ほんとうにありがとうございます。