先日、悲しい出来事を記事にさせていただきました。
その日の出来事は、数日間私の心を悶々とさせました。
道路で亡くなっていた猫ちゃんのお話ですが、私はその後美容院に行き、カットが終わったら姉の家に向かいました。約束してあったのです。
中々お互いの時間が合わなくて、今年になり会うのは初めてでした。
私は直ぐに姉に猫ちゃんの話を伝えました。
そして、電話をした所が美化センターと聞くと
「お前,それじゃゴミと同じ扱いだよ。もしかしたら飼い主がいて探していたかもしれないのに」
強い口調ではありませんでしたが、明らかに私のした事は間違いだと言っているのは伝わりました。
「ただただ、あの冷たい道路に横たわっていた猫ちゃんが可愛そうなだけだったのに…」
それに、電話をした時点での私は、そういうような発想は無かったのです。
そう捉える人もいるのだと驚きながら
私の判断は間違っていたのだろうか❓
あの猫は何処に行ってしまったんだろう…
昨日のお昼休み、私は自分が更に打ちのめされる可能性もあるのを覚悟して美化センターに電話をしました。
そこの人の答えは
「ゴミ収集とは勿論別ですよ。その子達の専用の火葬する設備が有ります。」
「ありがとうございました」
その言葉で電話を切りました。
涙声になっていたので、相手も困るだろうと早々に切ったのです。
私は、今回の事で色々考えさせられました。
動物達の不幸な死や迷子、放浪などに対して、それに対応する形は市町村によって大分違うと思います。
私の住む地域は、そういったことは少し遅れているように感じていました。
実際、私は前の子を亡くした後にワンコを保護したいと思って、保健所、市役所などの門を叩いたけれど現在は保護施設は無くて、結局は個人で保護活動をしている方から夢ちゃんを紹介されたのです。
そして、その地域に暮らす者たちも、そういった事を知らないのだという事も実感しました。
今回、私はどうしていいのか分からず、何処に連絡して良いのかも知りませんでした。
保健所に最初に電話して、美化センターだと言われて電話した流れです。
姉は、美化センターという場所から《ゴミ》に結びつけてしまいあの言葉になったのだと思います。
公共の施設は、住民にとっては分かりにくい事が多くて、電話した場所は同じでも担当は別な訳です。
「私はどうすれば良かったのだろう…」
私は、色々な事を率先してやるタイプでは有りません。
でも、情が絡んでしまうととても見過ごす事が出来なくなってしまうのです。
凄く遡ってしまうのですが、私が二十歳過ぎで県外で社員として働いていた頃。
その場所はもう読者の皆様はご存知だと思いますが、これからお話しする事はあまり印象が良くないので、県名は伏せますね。
それに、表現がリアルになるので、察知したなら途中で読むのをやめて下さい。
或る霧の深い朝、私は国道を通勤の電車の駅を目指し歩いていました。
その途中、100メートルくらいの間になんと3匹の猫たちが車に轢かれて亡くなっていたのです。
今回のような、安らかな感じではなくて、目を逸らしたくなるような残酷な姿でした。
当時は寮に住んでいたので、地域との繋がりも希薄でした。
そんな時にどうしたらいいのかは考える事も出来ませんでした。
その日から毎朝、私はその子たちの亡骸を目にする日々が続きました。
風葬という言葉は、当時は知らなかったかもしれません。
その子達は、まさしく風葬という形で土に帰ったのです。
交通量の多い道路でそのままになり、最後は薄っぺらい紙のようになり、風に舞って行ったのです。
当然、今その県がそのような対応をする事は無いと思います。
古い時代だったのです。
何十年も経った今でも、私の心に残ってしまっているその光景。
民族とか宗教の関係で、今も風葬というしきたりは有るようです。
でも、現実に朽ちていく姿を見る事はとても出来ることでは有りません。
私は、散歩の時に遭遇したその子に対して、あの二十歳過ぎの自分が目の当たりにした光景がダブってしまったのです。
あのような形にはしたくない。
咄嗟にそのように感じてしまったのだと思います。
それでも、時間を置きました。状況を見たのです。
私が発見してから3時間経ってもそのままだったので、私は決心して電話をしました。
どうするのが正解だったのか、今でも分かりません。
私は姉には常日頃反論はしないのですが、今回は
「自分としては、冷たい地面の上にずっとそのまなのが可哀想で電話をしてしまった。
ゴミになったというような事は言わないでほしい。」
という様なラインを送ったら
「軽い気持ちで言ったことなので、自分が良いと思ってした事が一番正しいと思って下さい」 との返信でした。
それでも、姉から言われた言葉が自分の中で消える事は無くて…
何をしても人からは何かを言われるのだと学んだ気がするのです。
だから、私は今度同じような場面に出くわした時には、同じ事をしないかもしれません。
何が正解なのか分からなくなりました。
かわいそうだと思ってやったことでも、その子のためにならないかもしれない。
難しいです。
でも、わたしが今これだけは言えるのは
どんな小さな存在でも、命は有るのだ。
その命を決して粗末にしてはいけない、生きている事を大切にしていきたい。
数日が経って、少し気持ちも落ち着いている筈なのですが、独りよがりな文章になってしまっているかもしれません。
それでも、最後までお付き合い下さりほんとうにありがとうございました。