JunchanObachanのブログ

じゅんちゃんおばちゃんの夢日記

いちご白書の想い出

こんにちは。

今日明日連休の私です。

昨日から春の様な陽気で、体がビックリして、そのせいではないと思うのですが、今朝は珍しく夢ちゃんがお散歩の催促をしました。

日頃ポーカーフェイスな彼女。

ぜんぜん声を発しません。

数年前に三男が撮ってくれた動画

私が帰宅して庭に車を停めている時に、カーテンの隙間から覗いてキュンキュンないていた夢ちゃん。

面と向かってそんな風にする事は皆無と言っていい。

ところが、今朝

私がちょっと探し物をしていたら《キュン❣️》

「そうだね、早番ならもうとっくに行っている時間だよね、お散歩行こう」

言った途端暴れまくり。

すぐにわかりました。

ウ◯チを我慢してるって。

抱っこしても暴れます。

やっとの思いで地面に下ろしてあげた途端、したのですが…

思うように出ません。

お腹の調子悪くなっちゃったのかな…

「ごめんね、お母さんに似ちゃったのかな❓」

血のつながった親子でもないし、まして人間とワンちゃんです。

まさに親バカというか、そんな事を考えてしまいました。

その後、快適なお散歩が出来たので、今は横になっています。

少し寒いですが、窓を開けて外の風を入れています。

そう書いた途端に、カーテンを揺らして冷たい風が吹き込んでいました。

夢ちゃんはすぐに気づいて頭をあげたので、寝冷えしては困るので閉めました。f:id:JunchanObachan:20220315095231j:plain

今日は何処にも行かないよ、ゆっくりしよう、夢ちゃん。


こんな朝、私はずっと心にとめていた事をお話ししたいと思います。

今日の本題ですね。

皆さまは《いちご白書》という映画をご存知でしょうか❓

私は全然知りませんでした。

ただ、高校生の頃に、仲良くしていた同じクラスの女の子から

「この歌いいよ」

と教えてもらった

バンバンさんの《いちご白書をもう一度》

その曲の歌詞に出てくるので、名前だけは知っていたのと


いつか君と行った 映画がまたくる


授業を抜け出して ふたりで出かけた


雨に破れかけた 街角のポスターに


過ぎ去った昔が


鮮やかによみがえる


抜粋しました。


2番の歌詞で

僕は無精髭と髪を伸ばして、学生集会へ時々出かけた

とあるので、いちご白書という映画は、学生運動の映画なのだろうと想像していました。

今は直ぐに調べられます。

70年公開なんですね。

その時代は、大学生の学生運動が凄かったので、その題材の映画は多かったと思います。

私は全く世代ではないので、後から知る事も多かったです。

当初は大学に対する抗議だったのが、政治に対する物に変化して行った様ですね。

学生運動を何とか理解しようと調べても、私には無理でした。

この場で語るのは無理そうです。奥が深過ぎました。


いちご白書をもう一度はユーミンさんの作詞作曲で、今でも残る名曲だと思います。

それよりも遡るのですが

戦争を知らない子供たち

ジローズさんが歌っていました。


戦争が終わって 僕らは生まれた


戦争を知らずに 僕らは育った


この曲は、私が幼い頃に聴いた記憶があります。


大人に なって 歩き始める

平和の歌を 口ずさみながら

僕らの・・・


忘れてしまいました。

調べたら

僕らの 名前を 覚えてほしい


やっちまった

まさに覚えてほしいところを忘れてしまったんですね⁉️

私といえば 私らしいのかも。


こんな風に、戦後生まれのアーティストの方が、そういう曲を歌う事は割と多かったと記憶しています。

今の岸田総理は、戦争を知らない子供たちさ、の世代の人たちよりも年下だと思います。

まさに、戦争を全く知らない子供達ですよね。


私が20代の頃の話になってしまうのですが

当時横浜に住んでいた私。

勤務していた企業は従業員も多く、組合も強かったので、定期的に動員されました。

或る日、団地周辺で

多分戦争反対と言う様な内容だったと思うのですが…

そこの記憶は曖昧ですが

署名をお願いするんです。

足を棒の様にして、署名を貰うのは大変でした。

その時に一緒になった女性が

「みんな、今の時代に戦争が起きるなんて思っていないし、自分の子供が戦争に行くなんて想像もしていないんだよ」

その言葉が今も記憶に残っていです。

そう、もはや戦後ではない、そう言われる事も皆無になった程、戦争は日本人の記憶からは遠ざかってしまったんです。


いちご白書は反戦映画ではないと思いますが、

戦争を知らない子供たちが心のひだに引っかかってしまい

こんな流れになってしまいました。


何の罪もない人が命を落とす事は、本当に辛いです。

3月11日、震災から11年。

私の職場では黙祷をしました。

まだ行方不明の方がいらっしゃる事も、ご家族の気持ちを思うと言葉に出来ません。

あの頃、自宅近くで福島から移住されたおじさんは、散歩の時によく会って、玄関前でタバコを吸ってしました。

いつしか挨拶をする様になり、そして、いつしかいらっしゃらなくなりました。

今どうしているのか、幸せであってほしい。

そして、今のウクライナの人達の悲劇は、どうしたらいいのか、辛過ぎます。

戦争は人災です。

罪のない人達が犠牲になるのが理不尽すぎて

胸が締め付けられます。

日本で戦争を知らない(経験してない)人達が殆どになってしまう現在

遠く離れた地で

あの頃の日本人と同じ様な苦しみを味わっている人達がいる。

とても他人事ではなく、自分にできる事をしみじみ考えました。


今日はとても風が強いです。

普通に仕事して、食事して、夢ちゃんとお散歩もできる

その事に感謝したい

普通の日常がかけがえのない物なのだと

改めて思いました。


皆様の下も

風が吹いているでしょうか。

優しい風でありますように。