JunchanObachanのブログ

じゅんちゃんおばちゃんの夢日記

夏の影

おはようございます。

今日もお休み。

昨日ですが、11時半に整形外科の予約だったので、帰宅は13時頃。それから昼食の支度をしたので、食べる事が出来たのは14時半頃になってしまいました。

長男に渡すポテトサラダとかちらし寿司も作ったので、そんな時間に。

自分一人の昼食なら、冷凍してあるおにぎり🍙とか、そんな感じになったでしょうね。

ポテトサラダを作る時は、必ず茹でた卵、人参、ジャガイモは夢ちゃんの為に取り分けます。味付けする前のものをキープしておくんです。

 

昨日は、たったこれだけで疲れてしまい、食事してから16時過ぎまで眠ってしまいました。

この前から整理している多くのノートや書類、その中に、私が昔書いた詩を思い起こしてノートに綴ったのが出てきました。

これは、横浜にいた時、勤務先の社報に載せてもらい。皆から《じゅんちゃんはこんな恋をしていたんだね》と言われたっけ。

詩の原文も、社報も残っていないので、記憶を辿って再生しましたものです。

多少は違っていると思います。

以前記事にしたような気がするので、重複してしまったらスミマセン。

 

                            夏の影

 

夏が好きと 言った人

覚えていますか 粉雪がしんしんと

降り積もる頃に 出会ったふたり

あなたは 言いました

夏のきらめく太陽

青い海に キラキラ光る水しぶき

大輪の向日葵の 揺れる姿

木々の隙間からこぼれてくる 眩しい光

それら全てが好きだと

 

夏が来る前に

私のもとから去った人

夏の想い出は ひとつも残さずに…

 

幾度かの夏がやってきました

 

大輪の向日葵が

太陽に向かって ゆらゆら揺れています

乾いた土に 黒い影を落として

 

それは 私だけの

 

夏の影

 

これ、子供が見たらなんと思うのかな❓

というか、私が書いたとは気付かないかもしれないですね。

 

何故冬に夏の詩❓

このタイミング…と思われる方も多いでしょうね。

実はこの詩は、出会の時から始まっているんです。

そう雪の降り積もる頃だったんです。

二十歳過ぎの私は、横浜で職場の先輩の結婚式に出席しました。

その日は、私が予約したスキーツアーの出発の日でした。

当然間に合いません。

式の後、私は急いで寮に戻って、着替えて、用意してあったリュックを背負って新杉田駅に急ぎました。

夜に新潟の赤倉にひとりで向かう女の子(一応その頃は、正真正銘の女の子でしたね^_^)が心配だったのでしょう。(乗車券を購入する時に、少し雑談したんですね)

私がホームに立つと、駅員の方は《妙高赤倉、積雪〇〇センチ》とアナウンスしてくれたんです。今だと考えられないですよね。

私は明け方赤倉の駅に着き、宿の人がスノーボードで迎えにきてくれていて、それに乗っていざ宿泊先に。

殆ど寝ていませんが、その日はスキー三昧でした。予約を一緒に取ってくれた勤務先の男性の先輩が居ましたが、それ以外は知る人が1人もいない中、私はいつしかひとりの男性と行動を共にするようになりました。

もうひとり、横浜から来たという10才くらい年上の女性とも仲良くなり、なんとなくその人達とずっと一緒でした。

《〇〇さんは恋をしているね》女性からふと言われました。

楽しかった数日間。 

その男性は3才も年下でした。

本人は言いにくそうにしていましたが10代でした。

横浜駅での別れ際、その人は私に自宅の電話番号を教えてくれました。

メモも出来ませんでしたが、完璧に記憶して、数日後に電話しました。

春になり、その頃は天皇誕生日だった日、初めてのデート。

その日どんな服装だったのか、今でも覚えています。

夜中の電話もたくさんしました。

その人とは、遠距離だったこともあり、会ったのは2回だけ。

淡い記憶だけ残して終わりました。

今の時代だったら、もっと違う形の恋になったかもしれないですね。

今どうしているだろうと思う事は有ります。

今こうして、語る事ができるのは、私がひとりだという事と、年齢を重ねたからではないかなと思います。

私が少女の頃に愛読した、ツルゲーネフの《初恋》16才の時のツルゲーネフの恋、小説にしたのは40代だそうです。

私が生まれる100年ほど前の小説。

ツルゲーネフが憧れて心をときめかせた隣人は、父親の愛人だった…

なんとも切ない初恋です。

40代になっていたからこそ小説として完成させる事が出来たのではないでしょうか。

もしもその時小説にしたら、若さゆえに思いが溢れてしまい、独りよがりなものになってしまったかもしれません。 

これは新潟の写真ではありません。

その人の写真も、そのツアーでの写真も残っていないんです。

私の中のイメージで、地元の写真ですがあの頃の風景に合っているので載せました。

私のまつ毛に雪がひらひらとのっかったら、そっとはらってくれた人。

今は、膝も痛く(突然現実に戻るのかよ^_^)雪国には行きたいと思えませんが(住んでいるところも立派な雪の多い地方ですが)今こうして淡い記憶を辿ると、雪深い時期にあの妙高高原にもう一度行ってみたいと思えてきました。

豪雪地帯だったので、訪れたのは3月下旬に近く、今に近い時期でした。

思い出が美しいのは…結ばれなかったからかもしれないですね。

嫌なところがひとつもない人なんていませんよね。

《こいする おかあちゃんか…》

 

夢ちゃん…引いてないよね…

 

今日は朝からこんなお話になってしまいました。

 

実は、午前中に自宅に行って少し整理しないといけないんです。

この前不動産さんに行った時『3月4日にインスペクションで家の方に入ります。水を出すと思います』と言われていたんです。

仕事だと答えたら、立ち合いは必要無いとのこと。

これによって家の不具合が、私の申告だけでなく実際の点検で書類として作成されます。

三者の目で確認してもらうのが公平ですよね。

これが全て済んだら、ほんとうに一区切りです。

 

たくさんの輝く未来があったあの頃。

でも、今が終わりとは思いません。

いくつになっても、それは自分の人生だから。

さだまさしさんの曲《無縁坂》

 運がいいとか 悪いとか

 人は時々 口にするけど

 そういう事って たしかにあると

 あなたを見てて そう思う

 忍ぶ 忍ばず 無縁坂

 噛み締めるような

 ささやかな 僕の 母の人生

 

大好きな曲です。

《噛み締めるように生きる、ささやかな人生》

そうありたいと最近思うようになりました。

 

今日は朝早くの更新になりました。

日の出が早くなってきたとはいえ、まだ真っ暗です。

それでも、春の足音は聞こえてきていますね。

お散歩していても、木々に小さな蕾が見えます。

まだ硬いその蕾が、ゆっくりと大きくなって一輪の花をつける、そんな日が待ち遠しいです。

 

今日もいい一日になりますように。