こんにちは。
今日は連休3日目。
夜には、実に5年ぶりにお友達との食事があります。
事故に遭った当日に会う約束をしていて、最初の病院で事情を伝えるラインをして、それ以来会えていないのです。
もちろん、連絡は取り合っていましたが、それからの日々は通院が主体、そしてコロナ禍、やっと会える事となりました。
でも、夜に夢ちゃんをひとりにするのは初めてなので、多分早めに帰ると思います。
もう今日から12月ですね。
早いものです。
水道が凍るまでにやりたい事は沢山あったのですが、有給をとって帰ると言った三男も都合がつかない様で、私のテンションも下がり気味でした。
みんなそれぞれ、目の前の生活で大変なんですよね。
やはり、自分でやろうと決断した私なのでした。
前半に連休があるので、その時に頑張ります。
先日、長男家族、三男と彼女と会ったとお話ししましたが、その時に長男が
「三男がずっと壁に顔を向けて拗ねていた時あったよね」という話になり、その写真を送って欲しいと言われました。
後ろ姿なので全部載せていいよね…
なぜ拗ねたのかは、全く覚えていません。
声をかけてもずっとそうしていました。
三男のそんなところ、私に似てしまったのかもしれないですね。
私の遠い記憶で、何かのきっかけで写真の三男の様な状態になり、私の場合は立っていたと思います。
心の中では、誰かが声をかけてくれて、その状態を止めてくれるのを期待していたと思います。
でも、家族の誰もフォローしてくれなかった…
ずっと、みんなの居る居間の隅っこに立っていましたね。
そして、ワンマンだった父の堪忍袋の尾が切れて、凄く叱られたんです。
多分…手をあげられた様な…
姉の別の記憶では「お前は父親に玄関から外に投げられた事があるよ」
それはこの時ではないので、私、最低でも2回は父に凄く叱られたんですね。
私は全然覚えていないのですが、投げられた時は祖母が助けに行ったそうです。
私は、自分ながら業腹な子供で、親はちょっと扱いにくかったのかな❓と思いました。
悲しき思い出の1ページ。
でも、父は怖いだけでなく、いつかブログでお話ししたエピソードですが、冬の寒い日、私の手を自分のコートのポケットに入れてくれたりしたんです。
私は、母よりも父が好きだった幼少期だったのです。
多分ですが、父は私が、一番自分に似ていると思っていたのかもしれないですね。
いつから、今の様なボーッとしたイメージの私になったのでしょうか…
いえ、内面は変わってないのかもしれないですね。
晩年の父はすごく優しくて、私の子供達を凄く可愛がってくれました。
若かった父は、拗らせる私にイライラしたんでしょうね。
私としては、この三男は可愛いと思いました。
なので写真におさめたのだと思います。
そして傍には、付き添っているのんのお尻が^_^
のんにとって三男は、自分の弟だったのですね。
「いつまで拗ねてるの❓お腹空いちゃうよ」
とでも思っている様なのんの後ろ姿。
三男の足は、のんのお尻に触れています。
こんな風に、何かあった時に私達は、のんやムクに助けられて来たんですよね。
三男が、この子達に食べ物を奪われても怒らなくて、今では帰省する度に夢ちゃんをどこかに連れて行ってくれる、それは、そんな記憶が有るからかもしれないですよね。
窓の下の壁は、のんとムクのどちらかが引っ掻いて削れています。
私の手首には、ムクが遊びたくて飛びついた時の傷跡が今でも有ります。
それらは、あの子たちと過ごした、大切な、大切な思い出です。
私の手助けが必要だった子供達は、今はもう誰も一緒には居ません。
あの頃は遠くに行ってしまいましたが、私には、ずっとずっと大切な記憶です。
今、この瞬間も思い出に変わってゆく。
だからこそ、噛み締めて生きていきたい。
結局は、そういう思いに行き着くんですね。
たった今、10時過ぎの夢ちゃんです。
私が、仕事ではないのに急に外出したので(明後日の出勤時間の確認と、今日久々に会う友達に渡すお菓子などを買いに行った)ちょっと不安だったみたいです。
帰ったらこんな顔をしていました。
「夜出かけるので、お昼にはささみを食べようね」
友達に会うのは嬉しいけれど、やっぱり夢ちゃんと一緒の時間が一番落ち着く私なのでした。
今日は全国的にとても冷え込んでいるようです。
みなさま、くれぐれも風邪などひかぬ様、お身体大切にしてくださいね。
良い一日になりますように。