おはようございます。
お休み2日目です。
昨日私が失敗してしまったのは、お洗濯です。
1人なので洗濯は毎日はせずに、大体休みの日と決めています。
偶々それが昨日だったのですが、あいにく雨。
しかも髪を染めたのでバスタオルなども増えてしまい、洗濯機は2回回すことになりました。
部屋干しでした。
のんびりした一日。
ふと、前日の事を振り返りました。
仕事が忙しかったのはお話ししましたが、悪くない方の右手に一回だけでしたが激痛が走りました。咄嗟に手で押さえてしまうほどの痛みでした。その後は激痛は有りませんでしたが、不安な一日となってしまいました。
自分が言わなければ誰も気付かない事です。
見た目なんともない訳だから。
17年、私は1回目の交通事故に遭遇してしまいました。その事はもう語るまいと思っていました。保険に関する事は貝になりました。
事故後のことに関しては、皆様の参考になればと思ってお話しすることにしました。
事故になんて誰にも遭ってほしくないですが、もしもの時の参考です。
一時停止を無視されて40キロくらいの速度で追突されて、車は廃車になりましたが、私自身はその時点では見た目何ともなかったんです。
ご近所のおじさんが「どうしたの❓」と運転席のドアのガラスを叩いて、それに応えて自力で車の外に出る事は出来ました。
自分で119と110に電話をしたのですが、何度やっても出来ずに、傍に来てくれた女性に頼みました。後で履歴を確認したら自分は1110などと打っていたようです。そのうち立っていられなくなって、座り込みました。
救急車が来て、乗せられた時いろいろきかれましたがあまり覚えていません。
隊員の方は「シートベルト痕無し」とか、色々言っていたのは記憶しています。
救急車で運ばれたのは、脳神経外科の個人病院でした。
そこでは、ぶつかってきた年配の女性は車椅子でしたが、私は検査でベッドに移動する時、自分で行くように言われました。
その時には徐々に苦しくなってきていて
「すみません、自分では移動できません」
と言って初めて「イチニッサン」と2人の人に移動してもらいました。
結果がわかるまで、私だけ普通の待合室で待たされました。
後から考えれば、軽傷だった相手の人は(年配の女性)その待合室には居なかったので、多分私よりも丁重にしてもらっていたと想像できます。、そこで、ほんとうに重症の人と、軽傷の人との見分けかたは難しいのだと思いました。
見た目何ともなくて、その場で《痛い痛い》と訴えなければ軽傷とみなされてしまうのもしれません。私はそんなに忍耐強いとは思いませんが、流血もしてなくて、骨折したところが徐々に痛くなってきたのでそうなってしまったのだと思います。
痛みがどんどんひどくなってきます。
ふと、後ろの人が私の肩をポンと叩いたのです。
「事故ですか❓何処でですか❓」
年配の女性だったと思うのですが、体を気遣っている言葉ではないと、苦しさの中でも分かりました。 その言葉には応えずに(まぁ、応えたくても応えられないくらい痛くなっていたので)
やっと歩きながら私は受付の女性に
「座っているのが辛いので、何処かで休ませてもらえませんか❓」と伝え、点滴をするような部屋に案内してもらいました。
その時には胸の痛みが酷くなって、体を動かす事も出来なくなっていたんです。
長男が駆けつけてくれて、医師にレントゲンを見ながら診察を受けたとろ
「見てください、胸骨が折れています。うちでは治療できませんので◯◯病院に紹介状を書くので行ってください」
との事。
長男の車で移動しましたが、その時には自力で車のドアも閉める事が出来ないくらいの痛みでした。
私は今になって、あの時は体を動かすのさえ無理になってきていたので、救急車を呼んでもらえなかったのかと思っています。
付き添いの長男も、私も、目の前の現実が大変だったのでそこまで考える事は出来なかったです。当事者は気が動転しているので、冷静になれません。
そういう時にもう少しなんとか出来なかったのかと思うのですが、でも、命があったからこそ今こんな風に言っていられるわけで…
その後は、3日間痛くて眠れなかったです。
救急隊員の方を責めることはできません。流血しているわけでもなく、アザも有りません。
けれど打撲痕って、後から出てくる事も有りますよね。
数時間後には、ぶつけられた方の(右)顎、二の腕、真っ青になり、胸にも打撲痕が現れました。
私は、あの時に総合病院に運んでもらえたらと、今でも残念に思います。
土曜日だったのと、他の理由で受け入れが出来なかったのか…
事故で怖いのは、見た目なんともない事です。
内臓破裂は、取り返しがつかない事も有ります。
私は、もう何十年も前の、山梨で起こった悲しい事故を思い出してしまいました。
当時の私は、焼き鳥屋さん通いが日常でした。
そのお話を聞いたのは、その焼き鳥屋さんでした。
そんな場所で聞くのには、悲しすぎる話でした。
結婚式の当日、自分で車を運転して式場に向かう花嫁さんの話です。
途中事故に遭ってしまい、病院に行く様に言われたのですが、自分は看護師なので体の事は分かるから、とそのまま式場に向かいました。
見た目は何ともなかったと思います。
しかし、内臓が損傷していて、花嫁衣装を着る事も無く、式場で亡くなってしまった…
一生に一度の花嫁衣装を数時間後には着るのだ、という思いが、看護師としての冷静な判断を消してしまったのか。
今でもその女性を思うと悲しくてなりません。
その後、その式場では花嫁が運転してくるのは禁止したそうです。
内臓破裂は時間を争いますよね。
見えないところで出血しているのですから。
私がみなさまに願う事は、見た目が何ともなくても、病院には行って欲しいという事です。
特に、お腹、頭などを打った時。
私の大好きな漫画家、多田かおるさんは、引越しで掃除の時、大理石のテーブルに頭をぶつけ、その夜に亡くなってしまいました。
(私が聞いた話では、床を拭いていて起きあがろうとしてテーブルにぶつけたのだと)
そういうシチュエーションは日常ではよくある事ですよね。
死因は脳内出血…
家庭内でお掃除をしている時に、何処かに頭をぶつけても、病院には行くという判断はしないかもしれません。
1990年より連載された《いたずらなキス》は未完となってしまいました。
私の大好きな漫画で、アニメにもなり実写化も何回もされています。
主人公の琴子は、好きだった人と結婚できたのですが、妊娠したのかも❓という所で終わりです…
その後の主人公の人生を、もっと描きたかったろうに。
調べたら、多田さんの残したメモを頼りに、その後のエピソードも描かれたそうです。
赤ちゃんを出産して、幸せなラスト。
良かった。
多田さんは無念だったと思います。
自分の手で主人公を幸せにしてあげたかったでしょう。でも、周りの方々の努力に、ファンは感謝していると思います。
2度の事故が、私の将来にどれだけ影響してしまったのかは分かりません。
今の私は、実費で毎週整形外科に通っています。
事故前には行っていなかったのに。
でも、考え方によっては良い事もあるんです。
常に腰や肩など、体のメンテナンスをしているので、今まで数年に一度は起こっていたギックリ腰にならなくなりました。
それに、仕事も休む事なく出来ています。
何より、命があった事に感様の気持ちを忘れてはいけないと思っています。
悪いことばかりではない、そう思いたいです。
日常では危険がいっぱいです。
運転している時は、煽られても、どうか冷静でいてください。(自分に言いきかせているんですね)
先日、警察署の信号近くを散歩中、目の前の信号が黄色で右折の車が停車したのですが、後続の車にクラクションを鳴らされて、赤に変わっても右折していきました。後続の煽った車は、ピッタリくっついて右折していきました。
信号待ちしていた車は、それを見ていたので青になっても発信しませんでした。
私は散歩しながら
「全く❗️どんなヤツか顔を見てみたいわ」
声には出せません、心で呟きました。
安全運転をしている人を、自分のルールに反するから煽るなんて。
(待ってくれた人、ありがとうございます。)
こんな人がいなくなることは無いんですよね。
悲しい現実ですが、自分が安全運転を続ける事で絶対に事故は減っているはずです。
そう信じていきたいです。
又、歩行者としても気を付けている事は多いです。
勤務先で、朝よく一緒になる男性が、暦の上で休日の朝にすごく怒っている事があります。
キャンプに来ている家族連れが、犬の散歩を子供にやらせていて、リードを長くして道路からはみ出しているので危なくてしょうがないと言うんです。
たしかに危ない。
私は、夢ちゃんとの散歩で、裏通りで車が来た時は、リードを短くして、自分の足を開いて夢ちゃん道路の端っこに閉じ込めます。
それは、夢ちゃんの安全でも有りますが、車を運転している方に「飛び出したりしませんよ」という合図の意味も含んでいます。
怒りの💢「チクショー」などという言葉よりも
「ありがとう」ってたくさん言える一日でありたいですよね。
長くなってしまいましたが、最後までお付き合いくださりありがとうございます。
では、今朝の夢ちゃんを。
昨日も別室で寝ていたので、私はあろうことか、鶏肉をひとかけら持っていきました。
食べた後、やって来ました。
もう貰えないと分かるとまた帰っていきました^_^
朝の挨拶をしたら、又トコトコやって来てこの姿。
夜はもう別でいいかな、と思い始めている私なのでした。