数日前から朝晩めっきり涼しくなりました。
夜などは窓を開けて寝てしまうと風邪をひいてしまいそうです。
夏の疲れは取りきれないまま、早足でやってくる秋を感じる日々を過ごしています。心なしか、空の雲も秋めいた形に変わりつつある気がします。
もうすぐ、富士登山の季節も終わりを告げます。
富士山の短い夏が終わろうとしています。夢ちゃんとのお散歩は、車で走っているとゆっくり見れないような光景を目に止める事が出来ます。
黄色い花が空の青と重なって可愛く揺れていました。《富士には月見草がよく似合う》
太宰治を知る前に知っていた言葉のような気がします。
昨日のこと、散歩の途中で月見草が可愛く咲いていたのでカメラを向けた所、夢ちゃんはビビっていました。
前足を踏ん張って真剣な表情。
実は夢ちゃん、ススキのさやさやと風に揺れる音に警戒心半端なかったんです。
こうやって毎日歩いていると、夢ちゃんの怖いツボは何だろう^_^と、ある意味微笑ましく感じることが度々です。
市の防災無線のバカでかい音には聞こえないような顔して歩いているくせに、人からすれば風流だなぁと思うようなススキの優しい風を感じる音にもビビる。
「夢ちゃん、その違いって何❓」
でも私は、答えが欲しいわけではないんです。
みんなそれぞれちがうんだ、という事ですよね。
自分だって苦手な人や、匂い、音、感触、などなど、人と違っているだろう。
夢ちゃんと歩いていると、そんな普通のことを再確認したりして。ツユクサはいたる所で見かけます。
拡大しましたが、今更ながらかわいい形をした花だと思いました。
歩いていると、改めて自分の周りには色々な小さな命が存在しているのだと感じる事が多くなりました。
昨日は仕事が遅かった為に、家に近付くに従って暗くなっていきます。ここまで来ると家まで数分。
近くの小学校の校庭には車が満車状態。
「こんな夜に…」
その時に私は思い出しました。
今日は吉田の火祭りでした。
朝拝見したsoft windさんのブログでも紹介されていました。
そのお祭りの前1年以内に不幸が有った家は、その火をみてはいけないと伝えられています。
地元の言葉で《逃げる》と言います。
今年はそうなので、そして当日までその意識を持っていたのに、車を見て何故と思ってしまう自分。
メイン通りには駐車場がない為に、お祭りに行く人はこの小学校の駐車場を利用します。
歩くと2キロくらい有ります。
その夜、両親が夢に出てきました。
父親の声がはっきり聞こえたのですが、何を言っていたのかは忘れてしまいました。
昨日の夜は姉がラインで「去年のお祭りはばあばも一緒に居たのにね」
と言っていて、また喉の奥が締め付けられるようになってしまった私です。
私がこんな風にセンチメンタルになってしまうことを予測して、両親は来てくれたのかもしれないですね。
母が入院していた頃の様子を手帳に記録したものが、写真の側に置いてあります。
これからは、昨日のように夢に現れてくれた事や、思い出した事、記録しておこうと思いました。
本人は形として存在していなくても、物語は作られていくのだと思います。
それは私の思いが強くなってしまうかもしれないですが、たとえ独りよがりな文字の中にでも両親が存在する、そう信じたい。
今朝は長めの散歩に行ってきました。
夢ちゃんはよく言葉を理解してくれます。
今日も「おかあさんお休みだからそこまっすぐ行こうね」
言い終わらないうちにまっすぐ駆け出す夢ちゃん。
「ずっと、ずっと一緒にいようね、長生きするんだよ…(お互いに)」
そんな私の呟きを、遠い目をして聴いているか聴いてないのか…
夢ちゃんはきっと、全て分かっているんだと思います。
わたしの寂しさも、孤独も。
諦めないと思う心はたった一人だと辛くなることも有ります。
夢ちゃんは黙って側に居てくれる、それだけでいい。
そして皆様の存在は、私に勇気を与えて下さいます。いつもありがとうございます。
これからもどうかよろしくお願いいたします。