JunchanObachanのブログ

じゅんちゃんおばちゃんの夢日記

想い出を辿る旅②

先週横浜を訪ねて、はや1週間経ちました。

その間も、日中仕事中にふと脳裏に蘇ったりしました。 

そしてあたたかい気持ちになりました。

それほど横浜は私にとって懐かしく、愛しく、切ない街でした。 

次男と寮の有った場所を後にして、次は勤務先に向かいました。

男性は頭の中には地図が描けるようですが、どちらかというと方向音痴な私は、その場所の記憶は有っても道が繋がっていかない時が有ります。

途中、覚えのある川が有りました。

仕事の後に卓球の練習の為に(多分クラブに入っていた)月に何度か職場の男性と一緒に体育館に向かった時に通った道でした。

そういった時はノホホンと乗っているので、多分当時でも道順は説明できなかったと思います。ただ、川沿いを走った記憶だけ。

次男は仕事で横浜にもよく行く為、私の勤務先の辺りには詳しいようでした。

区や町名を言うと殆ど知っていました。

目的地には直ぐに着きました。f:id:JunchanObachan:20181002172344j:plain大岡川沿いに有った懐かしい職場。

外観は全く変わっていませんでした。

この近くには公園があり、5月にお祭りがあった時、昼休みに訪れたり、仕事の後に公園の周りを走ったりしました。f:id:JunchanObachan:20181002172637j:plain道の向こうにある大岡川、近くの高校のボート部がよく練習していました。

今は両側に桜が植わってf:id:JunchanObachan:20181002172813j:plain大岡川プロムナードと言うんですね。

日本でも有名な桜の名所になっていたなんて。

あの頃は、桜の時期には勤務先の皆んなで花見をしました。

近くの駄菓子屋さんで手作りのおでんを注文して大きな鍋で持って行った事も有りました。保土ヶ谷公園など、色々な場所でやったと記憶しています。

或る時、風が物凄く強い時が有り、そんな時も私はメゲずにお弁当を食べていました。

その時年配の男性に「さすが田舎の子は多少の風くらいじゃビクともしないね」と褒められ❓ました(^ν^)

今こうして記事にしていると、色々な事が思い出されます。

人生のうちでその頃が一番ポッチャリしていた私。

でも若いので、ウエストとかは細かったんですが…

ある飲み会の時に

「じゅんちゃんをお嫁さんにするといいよね」

「そんなぁ、褒められた❓」心の声

「だってさ、食べさせてなくてもいっぱい食べさてるみたいじゃん」

まさかのディスられていたのでした。その頃はそんな言い回しは無いので、それって皮肉でしょ、と受け流した私。

そんなのも楽しい思い出です。f:id:JunchanObachan:20181003062425p:image当時からイジられやすいキャラだったのかもしれませんね。

この写真は元勤務先の裏口です。

ここからいつも敷地内に入って行きました。

今は別の社名になっていました。

先程の写真の反対側からです。

周りにはコンビニが出来たり、覚えのある建物はなかったけれど、1日の殆どを過ごしたこの建物が目の前に存在した時、涙が出てきました。

川沿いを少し歩いたあと

「この近くをもう少し歩いてみる❓」

次男の言葉はとても有難かったけれど、もう昼過ぎでこれから食事をして帰宅すると夕方は過ぎてしまうだろう、それから県外に帰る次男。

次の日は仕事だし…

「もういいよ、ここを見ることが出来ただけで充分」

少しの本音は

「3時のコーヒーを入れる時に、夏場は大きな氷を買いに行った、そしておやつの串団子とかも女性の先輩と買いに行ったっけ…そのお店を探したい気もする」

多くは望まない事にしました。

本当にこれで充分です。

西区にある回転寿司でお昼にして、帰る事にしました。この日は連休の最終日。f:id:JunchanObachan:20181003065302j:plain高速では上り車線が大渋滞。

そりゃそうですね、みんな郊外で観光して来るんだから。

申し訳ないけれど、スイスイ走るのは気持ちよかったです。

走行距離は300キロ弱。

日頃市内をチマチマ走っている私には想像もできない距離です。

でも、次の機会には、隣に次男を乗せて私の運転で行こうかなと考えたりしています。

今回、次男のお陰で、訪れる事がずっと叶わなかった思い出の横浜に行くことが出来ました。

自分の意思とは裏腹に、離れるしかなかった大好きだった横浜。

いつも夢に見て喪失感に苛まれていた。

勤務先では

「じゅんちゃんはいつも走っているね」

そう言われる事が多かった自分。夢の過剰でいっぱいだった。

違う自分になりたい、知らない土地に行ったなら出来るかもしれない。 

そう思っていました。

今の私は、あの頃の自分を眩しく思います。

でも、悲しくなんかない。その時の自分から繋がって今の私が有る、そして3人の息子や夢ちゃんにも出逢う事が出来た。

だからこそ、今の、この時間を大切にしたいと思うようになりました。

 

今回、地味なドライブだったかもしれません。

港の見える丘公園にもいつかは行きたいです。そこには、松任谷由実さんの《海を見ていた午後》の歌詞に出てくるドルフィンという喫茶店が有ります。

カフェ&レストラン ドルフィン
〒231-0854 神奈川県横浜市中区根岸旭台16-1
2,500円(平均)2,160円(ランチ平均)

あの頃、勤務先の先輩に連れて行ってもらいました。


ソーダ水の中を貨物船が通る


その歌詞のように貨物船が通って行きました。 

今も脳裏に蘇ります。

可愛がってくれた人達に、さよならも告げずに去った私。

そのあと連絡を取る事は有ったけれど、数年後には自分から会いに行こう、そう思います。

いつかは会える、そう思っていてもずっと会う事はできない。

自分の意思が無ければ動かないんですよね。

必ずその日が来るように、これからも頑張って行きたいです。

少し長くなって、もしかしたら独りよがりな文章になってしまったかもしれませんが、お付き合いくださってありがとうございました。

そして、我がブログは復活したのですが、皆様のブログに訪問した時に⭐️を付けることが出来ない状態です。

何故かはわかりません。

私の足跡が無くても、訪問させていただいています。

様子を見てるんですが、早くもとどおりになることを願っています。


最後に、又台風が発生しているようです。

皆様もくれぐれもお気を付け下さいね。