JunchanObachanのブログ

じゅんちゃんおばちゃんの夢日記

楽しいお散歩と富士山の雪

今日は日曜日ですがお休みです。

もしかして三男の所に行けるかな❓と希望休を取っていましたが、やはりまだ運転して行く勇気が出ませんでした。

あの、クネクネした峠は悪意のある後続車は煽るし、今までもあまり得意な道路ではありませんでした。


今日はとても良い天気。

分かっていても日曜日の休みは気が緩むのでしょうか…

いつもよりも1時間以上のんびりしてしまった私。

9時過ぎに散歩に出ました。

遅れたお詫びに

「夢ちゃん、遠回りしようね」その言葉を聞くと夢は

振り向きもせずに尻尾をピンと立てて歩くスピードをあげます。

遠回りの意味と、それが楽しい事を理解しています。

私があまり得意でない道路、そこは下に2車線の国道が走っていて立体になっています。

ガードレールの下を飛び越えてしまったら転落。 高所恐怖症の私は近寄ることも出来ません。

そこでワンコ友達の方に会いました。

体重2キロ程のヨークシャーテリアの飼い主の方です。

その子はリードもつけずに走り回っています。

「凄いですね、私はガードレールの近くは怖くて近寄れないんです、落ちたらと思うと…」

「そんなマヌケな犬じゃないから」

サラッと言われてしまいました。

でも、腹も立ちません。その人は夢ちゃんをとても大切にしてくれるから。

でも自分のワンちゃんに対する愛情が物凄く深い為そんな言葉になったんでしょう。

5メートルくらい向こうには橋が有ります。

当然橋の両端は崖と同じ。

「うちはそこも離したまま渡れますよ。」

「ヒェー‼️😱」

私にはあそこは城ヶ崎の吊り橋に見えます。「私はどうしても通らなければならない時は、車が来ないのを確認して夢ちゃんを抱っこして橋の真ん中を渡るんです」

筋金入りの高所恐怖症を納得したのか、その人はもう何も言いませんでした。


今年は寒さが厳しかったのに、2月3月に急に春の陽気になったりしました。

そんな時は富士山の雪も大量に溶けるのでしょう。

自宅から直線距離で50mくらいの所に川が有って幅は10mくら位なのですが

いつも草が繁茂していて、水が流れているのをとんと見た事が無い。

そこが2週間ほど前に、ゴォゴオと音を立てていました。

夢ちゃんも異変を感じていました。

視界に入った時、私はその濁流にのみ込まれる恐怖を覚えました。

近所の方も見に来ているくらい今までに無い光景なのです。

そういえば、たくさんの人が川の中に入って(普段は水は一滴も無いんです)草を刈ってショベルカーで作業していたっけ。

行政がちゃんと予見していたのか… 

「夢ちゃん、お散歩で怖い場所が増えてしまったね」

日々の生活の中で、私達には危機感が無いのかもしれません。

そして自分の行う行為が他の人に危険を伴うことも自覚が少ない。

雪の降った時(特に大雪)防災無線が流れます。

下流が氾濫するので雪を川に捨てないで下さい、捨てないで下さい」

何度も繰り返します。

私は何度か目にした事があります。

軽トラックに積んだ雪を捨てに来ている人を。

ここで落とした雪は溶けて下流に行くに従って勢いを増して私が見たあの濁流となる。

行き場の無い雪には本当に苦しめられる。けれど他の人には迷惑はかけたくないです。

ここ数日で富士山の雪もだいぶ積もりました。f:id:JunchanObachan:20180311184840j:plainこれは2月14日f:id:JunchanObachan:20180311184927j:plainそしてこれは昨日3月10日

肉眼で見ても積もったなぁと分かります。大雨が続いたので富士山も一気に降ったようです。

富士山の雪の積雪は真冬が多いと思いきや、一番多いのは観測上は4月だそうです。

そして3月、5月と続きます。


夢ちゃんと散歩する事で富士山には毎日会えます。f:id:JunchanObachan:20180311185630j:plain

夢ちゃんは絶好調です。

顎の抜けた毛も、気持ち生えて来たような気がします。

今夜は鶏肉とほうれん草を食べました。

実はお母さんは、2週間前に散歩の時に痛めた右足の膝が曲がらなくなっています。

AKAの先生には

「数日前に散歩の時に右膝を痛めちゃいました」

事故とは全く関係ないので、私としては治療をしてもらうつもりもなく、ただ報告しただけなのに。

先生はいつもの治療の後に診てくれるのです。初めて会ってから半年…

つい先日、とても残念な事を告げられました。

「僕、4月に異動が決まったんです。◯◯さんの事、最後まで診れなくて申し訳ないですが3月はまだこちらに勤務しますから」

青天の霹靂。

泣きそうです。

痛くて心細かった時出会って、若さゆえか天真爛漫な感じで接してくれたのが最初は戸惑った。

優しい口調ではっきり言う人だった。

保険での治療が終わっても、通うつもりでいたのに。

でも、先生にはこう言いました。

「峠を越えて毎日通勤して大変でしたよね。きっとお母さんも安心すると思います…寂しいけど」

最後の寂しいは聞こえてなかったかもしれません。

情がわくというのはこういう事なのかな❓と思いました。

私にはちょっぴり寂しい春となります。

でも、同じ病院なのでいつか元気になった時に、新しい主治医に伝えて欲しいと思います。


そして、今日は東日本大震災から7年となります。

あの日の事は忘れる事は出来ません。

未だに多くの方が避難生活をされて、行方不明の方もいらっしゃる。

亡くなった方のご冥福を心よりお祈りすると共に、日常を取り戻して欲しい、その為に自分が出来る事を考えています。