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JunchanObachanのブログ

じゅんちゃんおばちゃんの夢日記

春の足音

今朝は早くに目覚めました。

雪は降り続いています。

6時少し前に雪かきの連絡網が入りました。

幸いにも長男が起きてくれたので、近所での雪かき(共有の道路を50メートル位)は長男にお任せして、私は庭の雪かきと車の雪を払ったりしてました。

お休みでよかった〜

しかし、手放しでは喜べない。出勤の人は必死で車を出すんだから。


落ち着いてから夢ちゃんとの散歩。

今日は長い散歩が出来るかなと算段していたのに⤵⤵

雨まじりの雪のために長時間は無理。

「ごめんね、夢ちゃん」

しかし、昼は太陽が少し顔を出したり、そして気温もそんなに低くなかったので道路の雪は無くなりました。

夕方の散歩はこんな感じ。f:id:JunchanObachan:20170327203626j:plainここは以前にいつも歩いていた場所ですが、すぐ近くに引っ越されたお宅のワンちゃんにけたたましく吠えられる為にコースから外していた場所でした。

私はここから見える富士山が好きです。

今日はいいかな、と思ってパチリ。

雪をまとった姿は、優しさと強さを感じます。

夢ちゃんはワンちゃんの居るお宅が気になるのかな❓

でも、そのお宅にワンちゃんの姿は有りません。犬小屋が空っぽです。

ここ数日声が聞こえません。

心配です。

何か理由が有って何処かに行ったのなら良いけれど、迷子❓

名も知らぬ子ですが気になってしまいます。

f:id:JunchanObachan:20170327204631j:plain満開になる前に何度も雪化粧した梅。

夕暮れの中で凛とした姿を見せてくれました。

明日もきっといい日になるね。 

春の足音は聞こえるね。

春の雪景色

今朝目覚めた時に、いつもと違う静けさ。

もしかして雪😱

天気予報の確認を怠った日に限ってこんな事に…

しんしんと降っていました。

私は早い勤務なので、雪の場合は7時半には家を出たい。

夢ちゃんとの散歩も早い時間になります。f:id:JunchanObachan:20170326194049j:plain普段は普通の雑木林。雪のベールで違う顔を見せてくれます。f:id:JunchanObachan:20170326194229j:plain夢は相変わらず雪が大好き。

私のように「さむ〜❄️❄️」

なんて微塵も思いません。

そんな夢を見ていると、私もまんざら雪が嫌でもなくなって来るような。

18時前には帰宅できたので、待っていた夢ちゃんとの散歩を終えて、天気予報をチェック。

こちらの地方は《着氷生の雨》とありました。

調べたら、0℃でも凍らない過冷却状態の雨の事で、地面や木などの物体に付着する事をきっかけに凍る…

積もらないかもしれないけど、後が心配。

幸運にも明日がお休みです。これも運です。

この時期に一番困るのは、大雪とかで道路事情が良くないの時の早番です。家から車を出せないのに(10時からの出勤だったら道路状況は良くなっている)

勤務時間は迫って来るので。

こんな時のために、連絡網があって、その状況を職員全員に伝えます。そして、歩いて勤務出来る人が居たら出勤する。

まだ実践された事は無いけれど、雪の降る地方ならではのアルアルですよね〜

明日はお休み。

いつもお留守番をしてる夢を、長めの散歩に連れ出せたらと思っています。


夢ちゃん、ありがとう

今日はいい天気。

母の通院日です、お天気はありがたい。

ずっと院内では杖で歩いていた母も、入院してからは自ら「通院の時は車椅子にして」

少し長く歩くのは自信が無くなったんでしょう…

今日は眼科と内科を受診した為に、全て終わって帰宅したのは13時半頃でした。

夢ちゃん、いい子に待っていました。


この前の月曜日に脱水で早退して、次の日は休みだったので半日寝ていました。

母の病院があったので、体力を戻したかったから。 

職場が2月下旬から今月まで、色々と忙しかった為に疲れが溜まったのでしょう。

そんな時夢は、ひっそりと私を見つめています。

長男が代わりに散歩に連れて行くと、寝ている私の顔にお尻をぴったりくっつけてお座りをします。

「おいおい、お母さんの顔にお、し、り❓」

でも、よく考えたら、敵には背中は見せないものだよな❓私にお尻を向けるのは気を許してるから❓

そんな夢は、長男に引きずられる様に散歩に行くのです💨


元気を取り戻したお母さんと、今朝は慌ただしい散歩だったけど、夕方は少し長く行けたね。f:id:JunchanObachan:20170324202712j:plain

梅も大分花開きました。

そして夜は、こんな風に眠ります。f:id:JunchanObachan:20170324202817j:plain夢ちゃん、お母さんの側にいてくれてありがとう。

ありがとう。

言霊という言葉が有ります。

夢に対する想いには負の言葉が見つかりません。負の言葉には負が集まってしまうものと聞きました。

前向きな言葉を与えてくれる夢ちゃん。


ありがとう、夢。

医師との別れ

もう10年以上前にになってしまいました。

父と母は車で1時間くらいかかる、市を3つ程離れた病院に通院していました。 

母が何度か総合病院に入院した時の主治医が開業したからです。

その時は診てもらうのは母だけで、父は運転手です。

何年か経った時に父が体調を崩して総合病院を受診した所、内科の医師は袋一杯の薬を処方しただけでした。

何日かしても回復せずに、父は「食事をしても砂を噛むような感じだ」

と言っていました。

母の受診予定が近かったので、自分も一緒に診てもらった所、軽い脳梗塞だった事が分かりました。

それ以来父もこの医師に診てもらうようになりました。 

でも、軽いとはいえ脳梗塞を暫く放っておいた訳で、左足の土踏まずが少しですがちゃんと床に付かなくなってしまいました。

その頃から、悲しいくらいにヒタヒタと、老いが父に忍び寄って来たような気がします。

それは…今思えば、ですが。

父はとてもプライドが高い人なので、日帰り出来るデイサービスを勧めましたが、首を縦に振ることは有りませんでした。

私達も無理強いはしたくなかったのです。 

でも、その現状よりも良くなることは無くて、段々周りの負担は増えて行きます。

特に、常に一緒に居る母が大変だったでしょう。

私は、お金をおろしに行ったり、買い物、食事、2人の髪のカット、病院、などをやっていました。

でも、今思い起こすと、あの頃が一番幸せだったのかもしれません。 

実家で暮らしていた頃よりも会話が増えて、両親から昔の話とか色々と聞くことも出来て、でも、内心、少なくなった父の髪をカットする時、いつまでもこうやってこのまま続いてくれたらいいのに…

そんな願うような思いでした。

ある日父は、デイサービスに行くと突然言いました。

きっと周りの負担を軽くしたいと思ったのでしょう。不本意だったでしょう…  

その流れで、父は通院している病院の近くにある介護施設にショートステイという形で数ヶ月単位で入所する事になりました。

私は曜日を決めて通院の日は父をその施設に迎えに行って、診察を終えるとそこに送るような形になりました。

そういった施設は長くいる事が出来ません。その間に別の所を探さなければならないのです。

次に入所出来たのは、医師も居てリハビリもやってくれる所でした。

私は父の事をよく診てくださったあの医師に続けて診て欲しかったので、自分達で連れて行くのでそこまで通院する事は出来ないか頼んだけれど答えはノーでした。

常駐の医師が診るのが決まりなのです。

父はあの先生のお陰で命を救われたと思っていました。

最後の診察の日、先生に経緯を話して、多分商品券だったと思いますがお礼を渡しました。

「〇〇さん、頑張って下さいね。そして、もしも何か有ったらいつでも来てくださいね。」そんな言葉をかけてくれたと思います。

母は、その1年ほど前に深夜救急車で運ばれて、その流れでその総合病院へ通うようになっていたので、その時点でその医師に診てもらっていたのは父だけでした。

 

思い起こせば、その先生と両親との関係は医師と患者を超えていたと思います。

通常だったら医師にお中元、お歳暮などあり得ないと思います。

両親はずっと続けていました。

だからといって優遇してもらおうなどとは思ってもいなくて、先生の方も、他の患者さんと何ら変わりなく接していました。

出会いは病院だったかもしれないけれど、両親と先生は個人的な関係になっていたんだと思います。


その別れが桜の咲く頃。

その一年後、私達はその医師の訃報を聞く事になるなんて思いもよらない事でした。


先生は父と再会を約束した時に、既に病魔に侵されていたのではと思います。

その数ヶ月後に東京の病院に入院したと聞きました。

でも、先生は最後まで患者を診ていたそうです。

母の通っている介護施設にその医師のお姉さんが勤務していて、先生の最期とも言える日々を私達も知る事となったのです。

父とのあの別れの日、先生が再会を約束したのは、自分の願望でも有ったのか、と思いました。


今、父とあの医師は会えたでしょうか❓

「〇〇さん、偉いですよ。僕よりも2年も長く生きたじゃないですか、頑張りましたね。」

そう言ってくれているような気がします。


先生、先生のお陰で父は最期の日まで穏やかに過ごす事が出来ました。

もう直ぐ桜の季節がやって来ます。

先生とお別れしたあの季節。

今もあの診察室に座って、優しく微笑んでいた姿を思い出します。






 

1日8時間(ダイエット)中だるみ報告

昨年6月から始めた1日8時間ダイエット。

1日24時間の中で食事を摂るのを8時間以内にするというものです。

当然3食は無理。

私は過敏性腸症候群の為に午前中に特にお腹が痛くなる事が多くて、それこそ5回くらいトイレに駆け込む事も有りました。

仕事仲間に迷惑をかける事も…

朝食を抜きました。

勤務先での昼食は13〜14時。

そうすると夕食は20時〜21時の間に摂れば良い事になります。

三日坊主ではないけれど、効果が出ないと心が折れる私は、過去にフラフープを1ヶ月続けて1グラムも減らなかった時リタイアした経験あり。

今思えば、筋肉が付く時期だったのかもしれないのに…

今回はストイックに続けました。

緩やかに体重は落ちて半年後の12月には4キロ減となりました。

それに加えて、午前中にお腹が痛くなる事もなくなりました。 

事後承諾で、お腹の方の主治医に「朝食を摂っていません」正直に話した所、脱水を心配しました。でも、ある程度は自己責任と譲歩してくれたのか、せめて休みの日はちゃんと朝食を摂って下さいとの言葉で終わりました。内心

「脱水は自分の体で体験済みです」

言葉を飲み込んだ💦

脱水は本当に怖いです。

まず、喉の奥がネバネバして、唾を必死で飲み込んでもどうにもなりません。直ぐに水分を補給しても回復はしないのです。

食事からも水分を摂れるので、医師はそう言ったんですね。

それからは朝はアイソトニック飲料を飲むようにしました。

もしも朝食を抜く方は、脱水は気を付けて下さいね。


合わせて、10月頃から腰回しの運動を右回り、左回りを1分ずつ2セット、朝は必ず実施して、夜は出来る時に実施。

それによって腰回りは少しスッキリ

(以前の様にはならないけれど)

腰回しの運動は太腿にも効果が有りました。


1月には5キロ減になる日も有りました。

2月に入って…

勤務が早い日が多くなったり、色々仕事でも有って、それが原因とは言えないけれど

毎朝続けた体重、体脂肪、BIMのチェックもしなくなり

朝食も偶に摂るようになりました。

と言っても食パン一枚かヨーグルトくらい。

効果が出ていたのに…

何故かなぁ、自分でもハッキリ分からない。


今朝久々に測定した所、昨年の12月の頃の体重に戻っていました。戻るのは簡単。

これは三日坊主ならぬ、7ヶ月坊主❓


因みに、私は元々丸顔なので実際よりも太って見られます。

昔言われて傷付いたのが

「じゅんちゃんはね、決して太ってないよ、痩せてないだけ‼️」

会社の男性の先輩にです💧💧

今の勤務先ではもしかしてみんな優しいのか、私が体調を崩してから6キロくらい増えてしまっても、誰も見た目に関することは言いませんでした。

でも、お客様にはもう何人にも

「顔がむくんでいる」

とは言われたけど。

2年前、造影剤の副作用で顔がパンパンに腫れたり、身体中の蕁麻疹、そして冠攣縮性狭心症の発作の多かった時期です。

苦しいのに体は浮腫んで行く。

見た目って自分が一番気にしているので、ストレートに言われてしまうと辛いですね。しかもそれが病から来ることだったら尚更。

それから私は、勤務中マスクをするようになりました。 

元々アレルギー、花粉症などが有るので上司も何も言いませんでした。


1日8時間を始めてから、冠攣縮性狭心症の発作も有りません。

お腹も、偶に腹痛が起こる事は有るけれど以前の様に通勤の途中でさえ痛くなるとか、仕事中に何度もトイレ、そういう事は無くなりました。

そして、ギックリ腰も一度も無いです。

8時間ダイエットがこの病に良いのではなくて、結果体重が緩やかに減少した事が体脂肪の減少に繋がった事と、腰回しの運動は骨盤矯正になり椎間板ヘルニアには効果アリだったと思います。


そして、私は今でも薬を服用しています。

過敏性腸症候群では

トランコロン錠7、5mg

ビオスリー配合錠

共に1日3回

冠攣縮性狭心症では

アダラートCR錠20mg      1日1回

シグマート錠5mg             1日2回


両方の主治医からは不本意だとは思うけれど条件付きで承諾を貰っています。

もしも持病のある方は、8時間ダイエット自己判断で始める事はあまりお勧めできません。それと水分補給は絶対に必要です。

私は、今日から又気持ちを引き締めて続けるつもりです。


まだまだ三寒四温の毎日。

真冬ほどではなくても寒暖の差が有ります。

皆さま、お身体をくれぐれも大切にして下さいね。   



想い

今朝、3時39分

三男の「おかあさん」

という声が聞こえて目が覚めました。

1時間ほど離れた所で一人暮らしをしている三男。

言いようのない不安にかられても、どうする事も出来ずに

日曜日なので、電話で起こされても不愉快にならないであろう時間に(8時半頃)電話をしても出ません。

心配は募るばかり。

もう一度かけたら

「もしもし」

出ました。

急な仕事が入ったとの事。

私はもうそれで良かったけれど、10時半頃に三男が掛け直してくれました。


三男は建設関係の会社に勤務しています。

高校生の頃に二宮和也さんの「フリーター家を買う」を見て橋を作りたいと思ったと。

でも、現実は道路関係の方に配属されて、取り敢えず橋とは関係ない毎日。

会える時間は少なくなったけれど、仕事の事はよく話してくれます。

愚痴とかを言うことはなくて、いつも淡々としています。


今日の経緯を、三男はいつものように淡々と語り始めました。


県道で死亡事故が有ってその後片付けに行っていたと。

リアルな内容だったのでこれ以上は控えます。

電話が来て、手配をしたけれど(いつもそう言う場合は作業する方にお願いする)人が居なくて、下請けの方と2人で作業したようです。


私は呼び出された時間と事故が起こったであろう時間を聞いた時に鳥肌が立ちました。

多分事故が起きたのは私が三男の声を聞いた頃だったのです。

三男が数時間後にそこに向かう事を暗示していたのでしょうか❓

霊的な事とか全て信じる方ではないけれど、何か、言葉では現す事の出来ない何かがこの世には存在するのではないかと、そんな風に思いました。

 三男の仕事は、例えば物を作ったりとかそういった事だけではなくて、今日の様な場合もあります。

緊急の場合は休みでも出勤します。

雪の積もった夜は徹夜だそうです。

想像していた事とは違う事も有るでしょう。けれど、それが働くという事かもしれません。 

全く違う部署の同期の子は、毎日が大変でお弁当を食べる暇が無くて持ち帰る日々だったそうです。

父親からは「弁当も食べられない仕事など辞めろ」と言われたそうです。

前回帰省した時に、その同期の子の事を聞いたら、頑張っているとの事でした。

それぞれ大変な事も有ると思います。

でも、三男が続けていられるのは

それは、先輩の方々のフォローが有るからだと思いました。

常に声かけをしてくれると言っていました。

しかし今日の様に、間接的に人の死と関わる事も…

忙しいとか、そういう事よりも、精神的に辛いでしょう。

近くに居て食事を作ってやりたいと思う事も有ります。

お母さんはいつでも想っているよ、想いが風に乗って届くでしょうか❓


そして、朝の不慮の事故で亡くなった方のご冥福を心よりお祈りします。

夢と一緒に黙祷

未曾有の大地震から6年が経ちました。

あの日の事は今も忘れる事は出来ません。

私は休みで次男と2人自宅に居ました。

突然の強い揺れ。

でもその時は停電してしまったので、宮城、岩手、福島での状況を知る術も有りませんでした。

長男は勤務先、三男は学校に居て、2人とも無事に帰って来てくれました。 

そしてその日は居間で雑魚寝。

次の日の朝に電気は復旧したので、仕事には行きました。 職場は食品を求める人達で溢れました。

その日から計画停電が続きました。

でも、そんな事は何でもない事。

だって、家も有って家族もいて、お風呂にも入れる。

被災した方々の映像を見る度に涙する毎日でした。

その時に思いました。泣いているだけでいいのかと。一瞬で愛する家族と日常を奪われてしまった人達はこれからを生きていかなければならない。


阪神大震災の時に、下の2人は幼稚園でした。その時に、園長先生である神父さんが保母さんに対して言ったそうです。 

「そこに行くと誰も言わないのか」と。


その言葉は私の中にずっと残っていて、ここにいて普通に生活している自分を申し訳なく思いました。

ここに居て出来る事しかしなかったのです。


今、ごいさんのブログを拝見しました。

東北の物を1人1000でも買えば1万人で1千万になる。

私もそうしようと思います。


14時46分、街での防災無線が流れました。 夢を抱きしめて黙祷しました。

温もりの有難さを感じました。 


犠牲者の方のご冥福を、そして被災された方々が元の生活に戻れることを、心よりお祈りいたします。