JunchanObachanのブログ

じゅんちゃんおばちゃんの夢日記

ゆめの数々

私はよくゆめをみます。 

よく覚えているものも有れば、肝心な所が思い出せないものも有ったり、そして完璧に忘れているものも有るだろうから、睡眠中はずっとゆめをみている気がします。

今朝のゆめは長編でした。 

初めてみたゆめです。

ここでお気付きかと思いますが《ゆめ》はひらがなで表記しています。

我が家の夢ちゃんと区別する意味で…

夢ちゃんは戸籍上の名前が漢字の夢だから。!(ワンコに役所もなく戸籍も当然無いですが登録したのを出生届とみなしてこんな表現をしてしまいました)

 

私は或る場所で、午後から始まるパーティーの打ち合わせをしています。

そこには女性ばかりが居て、パーティーでは着物を着て、メイクもプロの方にやってもらうのでその段取りを話して居ました。

その時に、私は自分の着物一式を実家に置いてある事を思い出します。

(現実には自宅に有る)

長襦袢まで着替えた姿で外に出ます。

20mくらい有ろうか、木が鬱蒼として道も悪路。

そんな中で携帯から父に電話をし迎えに来てと頼みます。

着物を届けてと言えば一度で済むのに、着物を着る時の、帯揚げとかコーリンベルト、様々な細かいものが分からないと思ったのでしょう。

そして着いた父は、そこに居た人にもてなしを受け始めて、私の事は忘れて飲み始めてしまいます。

10人位居ましたが、父の隣には父の亡くなる数年前に亡くなった叔父さんが座っていました。

私は外に居た母を乗せて、自分で運転して実家に行こうとしますが、免許証を持って居ないので取りに行き戻ったら皆んな忽然と消えていました。

私はタクシーで実家に行くと決めて、二車線の道路を渡って(なぜ渡ったかというと、実家が右方向だったから)

中華料理屋さんの厨房まで押しかけて電話を借りてタクシーにつながったけれど、いくら場所を言っても分かりません。

そこで…

夢ちゃんの布団ガリガリで目が覚めました。

「お母さん、長襦袢姿でいつまでもさまようのやめて」

とでも言ってるかのよう。

結局、完璧な化粧も無し、二十歳の時に着た振袖を着る事は出来ませんでした。

私がよく見るゆめのパターンは3つ位有ります。


① 財布を無くす。

      バックごと置き忘れて、直ぐにその場所に行くのですが、バックの中の財布は中身が空っぽ⤵️⤵️いつもそのパターンです。でも、現実には私は財布を無くした事が無いんです。


②  好きな人には会えない。

       過去に2回、Kis-My-Ft2の玉ちゃんのゆめを見ました。

1度目は、あと少しで会えるという所で(その角を曲がったら居るみたいなシチュエーション)目が覚めました。

2度目は、電話を女性がかけていて、相手は玉ちゃん、代わったら「転勤になる」と告げられる。


③  横浜で今も働いている。 


普通ゆめって、楽しい事も多いと思うのですが、私の場合は殆ど成し遂げられなかったり、無くしたり、会えなかったり、そういうパターンが殆どです。

何故かなぁ…

ゆめ占いをして貰えばきっと何か答えは有るのかもしれないけれど、いいかなって思っています。


今朝は久しぶりに、大好きなお酒を飲んで楽しそうな父に会えたのと、恥ずかしい姿で彷徨うお母さんを夢が助けてくれた、なのでいい夢だったと思います。 

最近は朝の早い時間に目が覚める為、こんな早朝の更新となりました。f:id:JunchanObachan:20170528055240j:plainわたしゃ、お母さんを起こして疲れたよ。

             夢のつぶやき

夢ちゃんに助けられる毎日

今年の8月で夢と出会って3年になります。

もうこんなに一緒に居るんだね。

保護したという事で、ワンコを助けたと思われがちですが、それだけではない事を最近実感しています。

つい先日の事。

長男が夜勤が続いて、私の時間もいつもとは違う流れになったりして、深夜テレビをつけっ放しで眠ってしまいました。

長座布団で寝ていた夢ちゃんがしきりに布団を爪で引っ掻いている音で目が覚めました。

「夢、お母さんを起こしてくれたんだね」

これは、もしかしたら思い込みかもしれません。その布団は、真夏日だった日中に干したので気になったのか❓

それとも、お母さん、テレビうるさくて寝れないよ、と思っていたかもしれません。

でも、夢ちゃんがそういった行動を起こしたのは事実で、私は、自分を起こしてくれたと思う事にしました。

仕事から帰ると、車の音で気付いて鍵を開けると廊下で待っています。

私の顔を見ると、車から荷物を下ろすのが分かっているので一旦居間に戻ります。

直ぐに散歩に行きます。

その散歩も、もしも夢が居なかったら朝晩自分1人でなんて絶対に行かないだろう。

散歩の効果か❓善玉(HDL)コレステロールが100台まで増えました。

距離にすれば合計で4キロ弱、でも毎日続いているので、これは夢ちゃんに感謝です。

ただ、無理はしない様にしています。

体調が悪い時は長男に頼むし、自分の中では夢ちゃんとの散歩は義務ではないですね。

新しい発見、夢ちゃんと歩いていると違う視点で街を見ることが出来ます。

ワンコつながりのお友達も出来ました。

そうなんです、夢ちゃんが我が家に来た事で、私自身も生活が豊かになって幸せを貰いました。

ありがとう、夢。

でも、夢がこんな表情を見せるのは或る人だけ。f:id:JunchanObachan:20170525185442j:plain夢、目がウルウルしてるよ。

これは昨日、長男が私に送ってくれたものです。

GWで帰って来た三男が、高校時代の部活の仲間と久々に会って朝帰りして、私が仕事に行った後も爆睡している所に夢が寄り添っているんです。

本当に三男が好きなんだね。

お母さんをそんなウルウルした瞳で見つめた事ないよ、夢。

残念なのは、次男が県外に居て、中々夢と会えない事です。

次男が家に居た時は、ワンコの面倒は一番見ていてくれてた思います。散歩もよく行ってくれました。

もしも今、この家に次男が居たら、夢はどんな風に接するのかな❓

「あれ❓顔は似てるけど三男じゃないよ」

なんて思うのかな。

時間の流れと共に子供達は成長します。

親が居なければ生きていけない頃を過ぎて、皆んな大人になりました。

ずっと一緒にいる事は不可能でしょう…

頭では分かっていても、少し淋しく思ってしまいます。

これからは、子供達が自分の居場所を見つけて幸せになる事、それを願っています。

私は、夢ちゃんに対して親バカだとは思うけれど

「ありがとう、幸せをくれて」

その思いを大切にしてこれからも歩いていこうと思います。


5月の風

今日はお休み。

久しぶりにゆっくり起きました。

勤務先の同僚が

「朝目が覚めた時に、今日は休みだと思い込み出勤だと気付いて焦ることがしょっちゅう有る」

結構皆んな有るのでは❓

私も有ります。

しかし、今朝の私は昨日の残業がこたえたのか6時半くらいまで目も覚めず、覚めても休みを自覚して余裕の、のらりくらり。

こんなお母さんを間近にしても、夢ちゃんは文句ひとつ言いません。

いつもとおんなじ顔で待っています。

生理的にもよおしてしまった時は、真顔のまま私の上に乗っかってきます。

夢のパターンをお母さんは読めるよ。

どんな時も真顔(心の中ではお母さん漏れちゃうよと叫んでるだろうに)な夢ちゃんをお母さんは大好きです。f:id:JunchanObachan:20170523104947j:plain

庭でにぃにに撮って貰いました。

撮ってる人が長男だからか❓

これから楽しい散歩🐕って顔じゃない感じ。 

でも散歩は満喫。

日差しは強いけれど5月の風はとっても爽やかで、黙々と歩くのでちょっと汗をかきました。

夢ちゃんもハァハァ。

これからは水持参の散歩の季節になります。

夢と出会った事で、季節を肌で感じる事が出来ます。

会社の友達は、学生の頃、人に言えない愚痴を犬の散歩の時に聞いてもらっていた、と言ってました。

ほんと、そうなんです。

ワンコは愚痴を聞いてくれます。

きっと、自分1人に話しかけてもらえる事が嬉しいんだと思います。

以前に涙をずっと流した時、健在だったムクは、こちらを向いてお座りをしたまま目を閉じてジッとしていました。

泣いているお母さんをただただ心配してくれていた。

そんな時を思い出しました。

ムクが亡くなったのは1月の寒い時期だったけれど、最期のお別れをした日は五月晴れの様な陽気でした。

丁度今日の様な…

甘えん坊で、ビビリ、でもチャッカリ者なムク。

5月の風はそんなムクの様でした。

ムク、ムクの妹分夢ちゃんと、お母さんは元気にやっています。

そう思う瞬間に、ムクの優しさが頬を撫でる気がしました。

夢のお母さんは妖怪

私には年下の友達が居ます。

その1人は、同じ職場(出会ったのは別の場所で、たまたま同じ職場になった)

その子は、私に対して超毒舌。

少し前に、座敷わらしが現れる宿が話題になっていた時には私の事を

「座敷わらしちゃん」と呼び

それは褒め言葉なのか❓

「だって、その宿で座敷わらしに会えると幸せになれるんだよ」

暫くしたら

「妖怪ちゃん」

と呼び始め 

最近は「妖怪おばば」になっちゃった。

言われてる本人は、はっきり言って気にしてません。

その友達は10歳も下なので、自分の10年後の姿を私を目安にしてる感もあり、まっ10年後その位だったら良いかな❓なんて算段している気配が…f:id:JunchanObachan:20170521210650j:plain先日髪をカットして、これは利き腕でない左手を使って撮った写メ。自撮り棒は持っていません。

これって、いつか見たことのある毛だらけの妖怪❓

調べたら《毛羽毛現》ケウケゲンです。

花粉症で顔がすごい事になっていたので短くカットしました。中央に左の耳が隠れています。

この髪型は結構気に入りました。

f:id:JunchanObachan:20170521211208j:plain

夢ちゃんはいつもと変わらずに見つめてくれます。

母の髪

昨日は金曜日。

実家の母の所に訪問介護の人が11時に来る日。

その方はとても真摯に母の面倒を見てくれて、最近は足湯などもやってくれます。

心臓からくる足のむくみのチェックとか、1週間の体調の確認、そして何より、母の話し相手になってくれます。

その人が来ると母は饒舌になり、いつまでも話し続けます。

ひとつ難点は実家は車を玄関の縦長な庭に縦列に停めなければならず、私が先に着いた場合は2台停められる様に奥に入れるのですが、訪問介護の人は真ん中に停める為、後になってしまうと近所の駅に停めるしかなくなります💦

今日は早めに行きました。

母の髪が伸び始めていたのでカットしたかったので。

幸い暖かかったので、玄関の外でカットしました。

以前は椅子に座らせてやっていたのですが、父が亡くなった後、弟が中心となり色々整理した時に、台所の古くなったテーブルと椅子を処分していました。

その方が母が歩きやすいのと、悲しいですがもうあまり必要も無くなっていたのです。

それで、昨日は立ったままのカット。

数分で終わるので母も何も言いませんでした。風が少し有ったので、細くなった母の髪が顔に舞って来ます。

耳が半分出る程度にサイドの髪を切ります。後ろはハサミを縦に使って自然な感じに短くしました。

いつだったか母がぼやいた事が有ります。

中々タイミングが合わなくてカット出来なかった時に、介護施設の方でやって貰ったことが有るのです。

勿論プロの方がやって下さり、代金も支払う形になります。

「みんなおんなじ、老人の様な髪型にされてしまう」

しっかりしている母は「どのくらい切りますか❓」みたいな会話もなく、同じにされたのが嫌だったのかもしれません。

そこには、会話の出来ない方も居ます。

だから必然的にそうなるのだろうし、忙しいのだと思います。気を使う母は、空気を読んで何も言わずに同じ様にして貰ったのでしょう。

私はズブの素人です。

自分の行っている美容師さんの手の動きとかハサミの入れ方みたいなのを盗み見て。

母のとっては

「急に振り向かないでね、危ないから」

「耳は少し出ている位で良いよね」

そんな会話が安心するんだと思います。

仕上がりには何にも言いませんでした(笑)

でも、私は母の頭頂を見た時に愕然としました。

前回のカットした時よりも、髪が極端に薄くなっていたのです。

辛い現実でした。

父は元々髪が薄かったので、カットしていても何の違和感もなくて

近所の美容院に1人で行った時に通常の代金を支払う時に

「こんなに髪が少しでも、フサフサな人と同じだけかかるのか」

「少ない方が、逆に手がかかるんですよ」

そんな会話があったそうな…

それは今でも笑い話になっているけれど、母の髪は悲しくなりました。 

最近の私は、母の所に通う事は用事とは捉えていません。

父が健在の頃、病院に行ったり、買い物をしたり、それらの事は休日を使って行なう用事の一つだったのかもしれません。

父が亡くなって思った事は、それらの時間は親との大切な時間だったのだ、やっておいて良かったと思う様になったのです。

だから私にとっては、髪をカットしたり、食事を届けたりする事は母との大切な時間なのです。

この前は夢ちゃんを連れて行きました。 

屋外では初対面の人にもシッポを振るのに、部屋の中では怖がりが見え隠れして、固まってました。

母は 

「こんな子を何で捨てる事が出来るのか」

夢が我が家に来た経緯を知っているので口癖の様に呟きます。

今度の金曜日、又夢ちゃんと行こうかと考えています。


喪失感

喪失感、私は何度その言葉を経験しただろう…
これまでの自分の歩いて来た道のりを振り返ると、何度か有った気もする。そしてそれは結構引きずっており、何度も夢にみてしまう。
一つ目のそれは二十歳の頃に、単身横浜まで向かって受けた企業の中途採用
それは、まだ残暑の残る9月の事だった。
4歳年上の兄に、電車の乗り継ぎとか教えてもらって朝早くに家を出て、都合横浜には2回行くことになった。
降り立った関内の駅。
1度目は面接の願書を出しに行ったのと、2度目は正式な試験の為に。
筆記試験と面接。当時は三公社五現業の一つの企業であった。
あまりの人数に圧倒され、しかも1人で県外に出た事も無かった自分は、その試験が終わった後に高熱を出して寝込んでしまった。
出し切ったという思いは有ったものの、試験の結果が届くまでは悶々とし、9月も終わる頃に届いた封書には合格と書かれていた。
そこから私の、今思えば輝かしい時間が始まったのだと思う。
採用の後に、前期と後期に分かれて訓練が有り、それは原宿の宿舎。
配属された局に行くまで、分厚い参考書を渡されて、猛勉強、試験も有るので遊んでいる暇は無し。
けれどここで私は、寮の同室となった福島の子と出会う事となる。
その子は、歌手のりりぃさんに良く似たエキゾチックな美人。
横浜では色々な人達に出会うことが出来た。
私からしたら凄い都会に住んでいるのに、面倒見よくて優しい先輩達、寮生活をしていた時の色々な出逢い。
今でも私は、あの頃に戻って、優しい人達に囲まれて仕事も遊びも充実した日々の夢をみてしまう。
寮で同室の子と「人生で今が一番楽しいんだよね」耳年増だった2人は、冷静に分かっていたんだ。
これから結婚とか、色々な時間を重ねて行く上で、幸せな時間は勿論有るけれども、自分の事だけ考えて遊んでいられるのは今だけ、そう思っていた。
その子は結婚し出産してからその企業を退職した。
内心私は羨ましいと思ってしまった。
けれど、その企業は福利厚生が素晴らしく、産休も今は分からないけれど当時は3年まで取ることも出来た。
私は復職するつもりでいたのが、長男が産休中に2ヶ月近く入院する事となり、退職を選んでしまった。
その後家庭が破綻して横浜を去る事になってしまい、今も私は横浜の土地に対して何か置き忘れてしまった様な思いに囚われてしまう。
懐かしさと、切なさ、愛しさ、そして喪失感。

そして、今私が何故喪失感という言葉を口にしたかというと.
今月の8日に入院した友達からの
「家を失った喪失感に襲われている」
という言葉。
それが心に引っかかって。
喪失感というのは誰にも有るだろう。
彼女は、病が悪くなって入院している今、家を手放した喪失感に襲われている。
こんな私でも今でも引きずっているのだから
病を抱えた彼女にとっては本当に辛いものだろう。
頑張って頑張って手に入れた我が家、病の為に(それだけが原因では無いだろうけれど)手放した事が今でも心を痛める原因に。
会った時に見せて貰った家には、庭にレモンの木が植えられて、室内はロココ調の家具で統一されて、我が家とは格段の違い。
こちらに越して来てからアパートにお邪魔した時に、大きい物は処分したのだろうけれど、家具の一部にロココ調の物が有って、私自身も何だかしんみりした気持ちになってしまったのを覚えている。
自分自身も、2年間に3回引越しをした経験を持つので、全てを残すことは出来ないと分かっている。
思い出の品を残す間も無く転居して、今でも心残りな物もある。 
そんな時に私は、こんな風に自分を慰める。脳裏には全て残っているからと。
あの、横浜で過ごした日々、エキゾチックな街並み、コンビナートの夜景の素晴らしさ、形として残らなくても、私の中には鮮明に残っている。
港から吹く風の匂い、あの坂道の公園…
自分は確かにそこに居たのだ。

私は、彼女の自宅にはよく遊びに行ったけれど、九州はあまりにも遠くて、そこだけは訪れる事が出来なかった。
なのでそこで彼女がどんな生活をしていたのか知る術もない。
夫婦での新しい出発の地だった場所が、病に苦しむ日々になろうとは思いもしなかったろう。

彼女は入院して2週間。
個室なので携帯も許されてテレビも有るようだ。
入院の経緯は、自殺企図(こんな言葉が有るとは知らなかったけれど)が強いので、と、本人は語っていた。
初めて目にした言葉でも、文字を見れば理解できる。
死ぬ事を企てる事…なんだろう。ネットで調べたらその様な意味合いであった。
そして未遂となると、実行してしまったけれど助かったという事。
彼女の文章には企図《キト》と言う言葉が普通に
並んでいる。何の違和感も無い様に…
私1人しか知らないと思っていたあの計画は、医師も知っていた、当たり前かもしれない。
けれど私には当たり前ではなくて、自分1人に告げられたと思い込んでいた命に対する言葉を抱えきれずに悶々とした。
これがそういう病の人と付き合う事なのかもしれない。
彼女は九州に行く理由の一つを
病室からのラインで「九州でのたった1人の友達のところに逃げたかった」と表現していた。その人は同じ病を抱えていて入院中に知り合った人らしい。
旦那さんの縛りが嫌だとも。
私はそれらの言葉で又考えてしまう。
私の所に逃げて来たら受け止められるのだろうか❓
あの旦那さんは、心配しているだけなのに束縛と捉えられてしまう、気の毒だ。
いつかhappyさんがおっしゃっていたと思う。病が言わせてしまう事もある、それが精神的な病の怖さなのだと。
「こんな病気でなければ自立して、自分でやっていけるのに」
看護師の資格の有る彼女からはそんな言葉も出てくる。
いくら企業で頑張っても辞めてしまったらただの人。
私の実体験かもしれない。企業で積み重ねた努力は辞めたらゼロである。
でもその都度、経験がない仕事にしてもその時の自分の状況で出来そうな仕事を選んで来たつもりでいる。
向いてるとか、好きとかは二の次だった。
しかし彼女は、仕事を辞めても看護師である。そんな思いは有るのだろうし、私に対しては純粋な気持ちで
「じゅちゃんは頑張って来たね」と思ってくれている、と思う。 
幼い頃から憧れて、医療に対して興味が有り、努力して得た資格。
それを今の自分は生かす事が出来ないし、家も失った。
自分の喪失感と比べてはいけないけれど、彼女の喪失感は病と闘いながらの思いなので辛さがプラスされてしまう様に思う。
私の中には郷愁の様な思いもあり、夢に見て目覚めた時は、時間は戻せないと言う切なさは有るけれど、辛さみたいな物は無いといえる。
時間の流れを思うと、何年早くなって行く気がする。
二十歳過ぎのあの頃は、全てが未知数で自由だった。同じ1日でも変化の度合いが違うのだろう。
今の自分は単調、通勤電車に乗ることも無く、故郷の道路を運転して勤務先との往復。 
でも、何年後かの自分に褒めてもらえる自分でいたいと思う。
そんな言葉で今日は締めくくりたい。
喪失感を感じる物はまだ沢山あるけれど、長くなってしまったのでこの次に。

そして、お気付きかと思いますが今日は文体がいつもと違います。
長くなるので簡潔な文章にしたつもりですが、紛れもなくじゅんちゃんおばちゃんです。






演技派なお母さん

今夜は長男が担当者会議とやらで帰りは遅く、そんな夜は夢ちゃんと2人で鍋にしました。夢ちゃんが居るので、我が家の鍋はネギ無しです。

豆腐とお肉、野菜、冷ましてから夢ちゃんに。

もう私の行動を熟知してるみたいで、そういった行為を始めると鼻をピクピクさせながらお座りをしています。

2人の夕食も終わって、私は少し離れた所でくつろいでいる夢ちゃんに悪戯をしたくなりました。

「夢ちゃん、何処❓夢ちゃん💧💧」と言って探し回ります。

お座りしているのを気付かないふりして。

私は前を向いていても横が見える特技が有るので(トンボか✋」

夢がどうしようって見ているのが分かります。散々探した挙句に夢に気付いて抱きしめる。

「夢ちゃん、何処にも行かないでね」

ギュッとした夢は、真顔だけど嫌がってる感じは無いです。

でも、ゴメンね、こんな一人芝居して。

夢は居なくなったら、どうしたらいいか分からないくらいになっちゃうよ、それだけでも伝わったらと思っています。

最近ですが、私が帰ると廊下まで出てきて、私が車から荷物を取りに離れても外に飛び出す事は有りません。

昔の夢だったら逃げ出したでしょう。

此処が自分の家なんだと認めてくれたんだと思います。

道も熟知しています。散歩のコースは私を先導して歩きます。少し前の風景ですがf:id:JunchanObachan:20170513203946j:plain夢ちゃんとの散歩ではこんな風景にも出会えます。

ありがとう、夢。

いつまでも一緒にいようね。