JunchanObachanのブログ

じゅんちゃんおばちゃんの夢日記

母の髪

昨日は金曜日。

実家の母の所に訪問介護の人が11時に来る日。

その方はとても真摯に母の面倒を見てくれて、最近は足湯などもやってくれます。

心臓からくる足のむくみのチェックとか、1週間の体調の確認、そして何より、母の話し相手になってくれます。

その人が来ると母は饒舌になり、いつまでも話し続けます。

ひとつ難点は実家は車を玄関の縦長な庭に縦列に停めなければならず、私が先に着いた場合は2台停められる様に奥に入れるのですが、訪問介護の人は真ん中に停める為、後になってしまうと近所の駅に停めるしかなくなります💦

今日は早めに行きました。

母の髪が伸び始めていたのでカットしたかったので。

幸い暖かかったので、玄関の外でカットしました。

以前は椅子に座らせてやっていたのですが、父が亡くなった後、弟が中心となり色々整理した時に、台所の古くなったテーブルと椅子を処分していました。

その方が母が歩きやすいのと、悲しいですがもうあまり必要も無くなっていたのです。

それで、昨日は立ったままのカット。

数分で終わるので母も何も言いませんでした。風が少し有ったので、細くなった母の髪が顔に舞って来ます。

耳が半分出る程度にサイドの髪を切ります。後ろはハサミを縦に使って自然な感じに短くしました。

いつだったか母がぼやいた事が有ります。

中々タイミングが合わなくてカット出来なかった時に、介護施設の方でやって貰ったことが有るのです。

勿論プロの方がやって下さり、代金も支払う形になります。

「みんなおんなじ、老人の様な髪型にされてしまう」

しっかりしている母は「どのくらい切りますか❓」みたいな会話もなく、同じにされたのが嫌だったのかもしれません。

そこには、会話の出来ない方も居ます。

だから必然的にそうなるのだろうし、忙しいのだと思います。気を使う母は、空気を読んで何も言わずに同じ様にして貰ったのでしょう。

私はズブの素人です。

自分の行っている美容師さんの手の動きとかハサミの入れ方みたいなのを盗み見て。

母のとっては

「急に振り向かないでね、危ないから」

「耳は少し出ている位で良いよね」

そんな会話が安心するんだと思います。

仕上がりには何にも言いませんでした(笑)

でも、私は母の頭頂を見た時に愕然としました。

前回のカットした時よりも、髪が極端に薄くなっていたのです。

辛い現実でした。

父は元々髪が薄かったので、カットしていても何の違和感もなくて

近所の美容院に1人で行った時に通常の代金を支払う時に

「こんなに髪が少しでも、フサフサな人と同じだけかかるのか」

「少ない方が、逆に手がかかるんですよ」

そんな会話があったそうな…

それは今でも笑い話になっているけれど、母の髪は悲しくなりました。 

最近の私は、母の所に通う事は用事とは捉えていません。

父が健在の頃、病院に行ったり、買い物をしたり、それらの事は休日を使って行なう用事の一つだったのかもしれません。

父が亡くなって思った事は、それらの時間は親との大切な時間だったのだ、やっておいて良かったと思う様になったのです。

だから私にとっては、髪をカットしたり、食事を届けたりする事は母との大切な時間なのです。

この前は夢ちゃんを連れて行きました。 

屋外では初対面の人にもシッポを振るのに、部屋の中では怖がりが見え隠れして、固まってました。

母は 

「こんな子を何で捨てる事が出来るのか」

夢が我が家に来た経緯を知っているので口癖の様に呟きます。

今度の金曜日、又夢ちゃんと行こうかと考えています。


喪失感

喪失感、私は何度その言葉を経験しただろう…
これまでの自分の歩いて来た道のりを振り返ると、何度か有った気もする。そしてそれは結構引きずっており、何度も夢にみてしまう。
一つ目のそれは二十歳の頃に、単身横浜まで向かって受けた企業の中途採用
それは、まだ残暑の残る9月の事だった。
4歳年上の兄に、電車の乗り継ぎとか教えてもらって朝早くに家を出て、都合横浜には2回行くことになった。
降り立った関内の駅。
1度目は面接の願書を出しに行ったのと、2度目は正式な試験の為に。
筆記試験と面接。当時は三公社五現業の一つの企業であった。
あまりの人数に圧倒され、しかも1人で県外に出た事も無かった自分は、その試験が終わった後に高熱を出して寝込んでしまった。
出し切ったという思いは有ったものの、試験の結果が届くまでは悶々とし、9月も終わる頃に届いた封書には合格と書かれていた。
そこから私の、今思えば輝かしい時間が始まったのだと思う。
採用の後に、前期と後期に分かれて訓練が有り、それは原宿の宿舎。
配属された局に行くまで、分厚い参考書を渡されて、猛勉強、試験も有るので遊んでいる暇は無し。
けれどここで私は、寮の同室となった福島の子と出会う事となる。
その子は、歌手のりりぃさんに良く似たエキゾチックな美人。
横浜では色々な人達に出会うことが出来た。
私からしたら凄い都会に住んでいるのに、面倒見よくて優しい先輩達、寮生活をしていた時の色々な出逢い。
今でも私は、あの頃に戻って、優しい人達に囲まれて仕事も遊びも充実した日々の夢をみてしまう。
寮で同室の子と「人生で今が一番楽しいんだよね」耳年増だった2人は、冷静に分かっていたんだ。
これから結婚とか、色々な時間を重ねて行く上で、幸せな時間は勿論有るけれども、自分の事だけ考えて遊んでいられるのは今だけ、そう思っていた。
その子は結婚し出産してからその企業を退職した。
内心私は羨ましいと思ってしまった。
けれど、その企業は福利厚生が素晴らしく、産休も今は分からないけれど当時は3年まで取ることも出来た。
私は復職するつもりでいたのが、長男が産休中に2ヶ月近く入院する事となり、退職を選んでしまった。
その後家庭が破綻して横浜を去る事になってしまい、今も私は横浜の土地に対して何か置き忘れてしまった様な思いに囚われてしまう。
懐かしさと、切なさ、愛しさ、そして喪失感。

そして、今私が何故喪失感という言葉を口にしたかというと.
今月の8日に入院した友達からの
「家を失った喪失感に襲われている」
という言葉。
それが心に引っかかって。
喪失感というのは誰にも有るだろう。
彼女は、病が悪くなって入院している今、家を手放した喪失感に襲われている。
こんな私でも今でも引きずっているのだから
病を抱えた彼女にとっては本当に辛いものだろう。
頑張って頑張って手に入れた我が家、病の為に(それだけが原因では無いだろうけれど)手放した事が今でも心を痛める原因に。
会った時に見せて貰った家には、庭にレモンの木が植えられて、室内はロココ調の家具で統一されて、我が家とは格段の違い。
こちらに越して来てからアパートにお邪魔した時に、大きい物は処分したのだろうけれど、家具の一部にロココ調の物が有って、私自身も何だかしんみりした気持ちになってしまったのを覚えている。
自分自身も、2年間に3回引越しをした経験を持つので、全てを残すことは出来ないと分かっている。
思い出の品を残す間も無く転居して、今でも心残りな物もある。 
そんな時に私は、こんな風に自分を慰める。脳裏には全て残っているからと。
あの、横浜で過ごした日々、エキゾチックな街並み、コンビナートの夜景の素晴らしさ、形として残らなくても、私の中には鮮明に残っている。
港から吹く風の匂い、あの坂道の公園…
自分は確かにそこに居たのだ。

私は、彼女の自宅にはよく遊びに行ったけれど、九州はあまりにも遠くて、そこだけは訪れる事が出来なかった。
なのでそこで彼女がどんな生活をしていたのか知る術もない。
夫婦での新しい出発の地だった場所が、病に苦しむ日々になろうとは思いもしなかったろう。

彼女は入院して2週間。
個室なので携帯も許されてテレビも有るようだ。
入院の経緯は、自殺企図(こんな言葉が有るとは知らなかったけれど)が強いので、と、本人は語っていた。
初めて目にした言葉でも、文字を見れば理解できる。
死ぬ事を企てる事…なんだろう。ネットで調べたらその様な意味合いであった。
そして未遂となると、実行してしまったけれど助かったという事。
彼女の文章には企図《キト》と言う言葉が普通に
並んでいる。何の違和感も無い様に…
私1人しか知らないと思っていたあの計画は、医師も知っていた、当たり前かもしれない。
けれど私には当たり前ではなくて、自分1人に告げられたと思い込んでいた命に対する言葉を抱えきれずに悶々とした。
これがそういう病の人と付き合う事なのかもしれない。
彼女は九州に行く理由の一つを
病室からのラインで「九州でのたった1人の友達のところに逃げたかった」と表現していた。その人は同じ病を抱えていて入院中に知り合った人らしい。
旦那さんの縛りが嫌だとも。
私はそれらの言葉で又考えてしまう。
私の所に逃げて来たら受け止められるのだろうか❓
あの旦那さんは、心配しているだけなのに束縛と捉えられてしまう、気の毒だ。
いつかhappyさんがおっしゃっていたと思う。病が言わせてしまう事もある、それが精神的な病の怖さなのだと。
「こんな病気でなければ自立して、自分でやっていけるのに」
看護師の資格の有る彼女からはそんな言葉も出てくる。
いくら企業で頑張っても辞めてしまったらただの人。
私の実体験かもしれない。企業で積み重ねた努力は辞めたらゼロである。
でもその都度、経験がない仕事にしてもその時の自分の状況で出来そうな仕事を選んで来たつもりでいる。
向いてるとか、好きとかは二の次だった。
しかし彼女は、仕事を辞めても看護師である。そんな思いは有るのだろうし、私に対しては純粋な気持ちで
「じゅちゃんは頑張って来たね」と思ってくれている、と思う。 
幼い頃から憧れて、医療に対して興味が有り、努力して得た資格。
それを今の自分は生かす事が出来ないし、家も失った。
自分の喪失感と比べてはいけないけれど、彼女の喪失感は病と闘いながらの思いなので辛さがプラスされてしまう様に思う。
私の中には郷愁の様な思いもあり、夢に見て目覚めた時は、時間は戻せないと言う切なさは有るけれど、辛さみたいな物は無いといえる。
時間の流れを思うと、何年早くなって行く気がする。
二十歳過ぎのあの頃は、全てが未知数で自由だった。同じ1日でも変化の度合いが違うのだろう。
今の自分は単調、通勤電車に乗ることも無く、故郷の道路を運転して勤務先との往復。 
でも、何年後かの自分に褒めてもらえる自分でいたいと思う。
そんな言葉で今日は締めくくりたい。
喪失感を感じる物はまだ沢山あるけれど、長くなってしまったのでこの次に。

そして、お気付きかと思いますが今日は文体がいつもと違います。
長くなるので簡潔な文章にしたつもりですが、紛れもなくじゅんちゃんおばちゃんです。






演技派なお母さん

今夜は長男が担当者会議とやらで帰りは遅く、そんな夜は夢ちゃんと2人で鍋にしました。夢ちゃんが居るので、我が家の鍋はネギ無しです。

豆腐とお肉、野菜、冷ましてから夢ちゃんに。

もう私の行動を熟知してるみたいで、そういった行為を始めると鼻をピクピクさせながらお座りをしています。

2人の夕食も終わって、私は少し離れた所でくつろいでいる夢ちゃんに悪戯をしたくなりました。

「夢ちゃん、何処❓夢ちゃん💧💧」と言って探し回ります。

お座りしているのを気付かないふりして。

私は前を向いていても横が見える特技が有るので(トンボか✋」

夢がどうしようって見ているのが分かります。散々探した挙句に夢に気付いて抱きしめる。

「夢ちゃん、何処にも行かないでね」

ギュッとした夢は、真顔だけど嫌がってる感じは無いです。

でも、ゴメンね、こんな一人芝居して。

夢は居なくなったら、どうしたらいいか分からないくらいになっちゃうよ、それだけでも伝わったらと思っています。

最近ですが、私が帰ると廊下まで出てきて、私が車から荷物を取りに離れても外に飛び出す事は有りません。

昔の夢だったら逃げ出したでしょう。

此処が自分の家なんだと認めてくれたんだと思います。

道も熟知しています。散歩のコースは私を先導して歩きます。少し前の風景ですがf:id:JunchanObachan:20170513203946j:plain夢ちゃんとの散歩ではこんな風景にも出会えます。

ありがとう、夢。

いつまでも一緒にいようね。


お休みの日に流れる時間。

今日は母の病院でした。

7時前に掃除を済ませ、申し訳ないけどお休みの長男に声をかけて起こしてしまいました。

母の病院の日は体力を要するために朝食を摂るように心がけているので、一緒に食事をして話したい事も有ったので。

不満顔の長男に、追い打ちをかけるように頼み事を。

「夢ちゃんの散歩頼めるかなぁ」

長男は、夢に関する頼み事で嫌な顔をした事が有りません。

寝起きだったのにも関わらず快諾してくれました。夢、愛されてるね。

洗濯も済ませて母を迎えに行くと、もう用意してベッドの上に座っていました。

入院してからの通院は、母は車椅子になりました。

病院では周りの患者さんは車椅子の人に対して気を使ってくれます。

今日はすいていました。そして驚異的に早く終わって、会計が済んだ時まだ10時前。

こんな日も有るんだなぁ…

日によっては12時過ぎる事も有るから。

昼食には早過ぎるために、院外処方の薬を薬局にお願いしてから一旦家に帰る事にしました。

朝会った時に母には、申し訳ないくらいの花ですがカーネーションをプレゼントしました。f:id:JunchanObachan:20170512221501j:plain

母はあんまり感情を出さない人なので、普通にしてました。

花を楽しんだ後は、庭に植えたら毎年咲いてくれるかもしれません。

寒冷地なので何とも言えないのですが。


午後からは、名探偵コナンの1巻から読み直し。

コナン、好きなんですよね。

最近めっきり細かい事が出来なくなってしまった私は、新しい手帳にコナンの事件ファイルを1から書き始めました。

これは最新の巻まで続けるつもりです。

パソコンを使わずにアナログです。


今の私は、出来ない事がとても多いです。

出来るのにやらない事、と言った方が正しいかもしれないけれど。

何もしなくても過ぎていってしまう時間。


そんな中、夢ちゃんは夕方の散歩の後にちゃっかりくつろいでいました。f:id:JunchanObachan:20170512223021j:plain今日洗濯したこたつ敷き。たたんでおいたら、太陽の匂いがするんだね、熟睡。

夢のお布団にしようかな❓

何気なく過ぎて行く時間。

でも、怒ったりとか、イライラしたりとか、そんな思いが無くて穏やかで過ごせた、そんな1日は幸せなのかもしれない、そんな風に思いました。




流血したお客様

今日の事です。

GWも終わって、職場は少しは落ち着いて来た感じ。 

そんな時に、顔にも覚えのある70代以上と思われる女性がレジに来て、まず最初に気付いたのが、掌に血が付いていたんです。

最初に「いらっしゃいませ」

と言って顔を見た時には違和感は無かったのに。

それでビックリしてその方を直視したら、左の耳たぶの辺りから出血し、その血液がグレーのベストにも飛び散っていました😱

これは大変だと、サービスカウンターの人を呼んで、その間にお客様に

「どうなされましたか❓大丈夫ですか」

と話しかけて、ティッシュを渡したりしたのですが、その人はいたって冷静な感じで、その態度に違和感を感じながらも

「転んだんでしょうか❓」

と話したら

「旦那さんに殴られた」とポツリ。

そして出血の元と思われる所は血も止まっているようで、本人が大事にしたくない感じだってので、カウンターから来た人もそのままにしたのですが…

私としては切なさが残ってしまいました。

血液が乾いてない事を考えると、店内か車の中での事だと思うのです。

そんな場所で暴力とは…では、自宅ではどうなってしまうのか。

あのお客様が気がかりです。


私は今、はてなのブログで出会うことの出来た方々を思いました。

その方々はどなたも、思慮深く、草花とか風景、絵画、色々な物への愛情を持っています。

ひとつひとつの言葉に、優しさを感じます。  


でも、そうじゃない人も居るんだという現実。

そんな風に出来る人が居るんだと思うと切ない気持ちになってしまう。

暴力は絶対にダメです。

どうか、暴力だけはやめて下さい。




怠け者の一日

今日は天気が良くて、朝の散歩ですら上着が要らない感じでした。

洗濯を何度もやって、一度目が乾いて又追加。

それ以外は…ウダウダの一日でした。

撮りためたドラマを観ては、途中で寝ちゃったり。でも、夢ちゃんの食事だけはちゃんと作りましたが。

夕方4時過ぎになって、明日もお休みなんですか支払いを今日中にしたくて外出。

今は公共料金は色々な所で支払いが出来ます。

私の住む市のスーパーに行きました。

途中、横断歩道で停止したら中高生が沢山。止まっても渡らないので、右手でどうぞってしたら渡ってくれた。

一日頑張って帰る時間なんだね。

私は物凄い後ろめたさに襲われちゃって。

こんな子供達が頑張ってるのに、いい大人のおばさんが(認めちゃった)ウダウダ過ごしてどうする❓

あ〜あ

人から注意されて、キャラでもないのに強気に言い返したりして、その反省か今日はこんな一日を過ごしてしまって。

連休なので明日もお休み。

明日はもっといい日にしたいな、そんな風に思いました。f:id:JunchanObachan:20170508192703j:plain

これは夢ちゃんとの朝の散歩で見たヒコーキ雲です。

私の大切な人に最初に送ってしまいました。

その人にこの空を届けたくて。

夕方の空は、もうこんなに蒼くなくて、白く曇っていました。

時間も空の色も移り行くものです。

今日の自分は反省ですが、明日から、本来のじゅんちゃんおばちゃんで行けたらな、と思っています。

人間は難しい

GW最終日、忙しさも落ち着いて、私の中に気の緩みが出てしまったのか(これは今だからそう思える、と言うかそう気付いたのですが)

仲の良い人と少しだけ会話をした(仕事の会話も有り、そうでない時も有ったと思うので)

そしたら或る人が

「今日は3回目だよ、人の事をいつも言ってるけど、言われた人は見てるからね‼️)と強い口調で言われて、一瞬何のことかわからなくて、暫くして、悔しさと憤りがこみ上げて来ました。

私はそう言う時に、今まで思った事を言えずに悶々としてしまうのでした。

喧嘩にはならないだろう大人だし…

「さっきの言葉は、私がいつも人の事を言っているように聞こえる、それに3回見ていたと言ったけど、後から何回と言われても取り返しがつかない、もしも悪いところに気付いたら1回目で言って欲しい」

その人は日頃から、自分は何回やったとか(例えば買い物カゴを片付けるとか、やらない人が多い仕事をやった時にそういう例えを)数える人だったな…

私のその言葉に、分かったよ、とは答えてくれました。

でも、不愉快だった。


私はいつも、このブログで職場での愚痴を聞いていただいていて

なので職場ではそういう人達に口うるさく言った事も無いし、明らかにおかしいだろうと思う時は、同じ考えの人と話して来ました。

その中にその人は入っていませんでした。

今まで生きて来た中で《人の事を言っている》と言われたのは初めてです。

それもショックだったのかも❓

結局、私は良い人で居たかったのかもしれませんね。

だから相手が例えば悪い時でも、第三者には話すことはしなかった。

でも、最近はそう言った変なポリシーみたいなものも吹っ飛ぶような人達に遭遇して、いつしか私は変わっていった。

時間ギリギリに職場に来る人

トイレに入る時は靴を履き替えてエプロンを取る、という決まりがあるのに、何度もそのまま入る人に会ったので、知らないのかと思って伝えたけれど、その後も変えようとしなかった、その人は社員が言っても未だに靴のまま入っている

自発的にやる仕事は全くやらない人。例えば、朝の開店前にレジの台が汚れていたらサッと綺麗にする、私達はやっていてもやらない人達はそういう意識が全く無い

或る人が、あまりにも自分勝手なルールを見かねて注意したら、そんな事を言うのはあなただけですと逆ギレされた。

色々な所にセロテープで物を貼り付ける。

勝手に休憩に行ってしまう。

夕方10分の休憩を残す人が居るが(私は昼に1時間取ってしまう)10分の筈が中々帰って来ない。

まだ沢山ありますが、仕事の細かいことになってしまうので伝えられないのが歯がゆいですが。

昨日仕事が終わってから、私よりも3年程先輩の人と話をしました。

その人は社員の次の立場の人です。

まず、私が言われた事を、そのままそっくり返せばよかったのにと言いました。

難しいです。

誰しも自分が一番正しいと思っている。

「言われた人は見ているよ」 と言う言葉の、言われた人って誰の事だろう…

仮に私が人を注意したら、自分は人の事を言ったのだから何の失敗も許されないのか❓

職場ではルールは必要です。

でも、最近はあまりにも自分のルールを作っている人が増えて、もしもそう言う人が1人だったらだだの変わっている人になってしまうけれど、複数になって来たら…

常識と非常識がひっくり返る事もあり得るのでは。

いつの間にはそっち側の人は半数になっています。私に言った人は、そちら側では無いけれど(別に職場の人を分けているのではなく、敢えてそう言う表現になりますが)

数年前まではこんな状況ではなかった。

何が普通なのかわからなくなる事が有ります。


今日は答えは出ません。

でも、私は、自分の信じるやり方で仕事を続けていこうと思います。


そんな中、友達からのライン。

8日に入院する事になったと…

今日、です。

自殺からの回避というような表現が有りました。主治医は分かっていたんだ。

病院の場所も知りません。そう言った病院にお見舞いに行って良いものか、それも分かりません。

でも、落ち着いてくれればと願っています。