JunchanObachanのブログ

じゅんちゃんおばちゃんの夢日記

春雷

今日は珍しく月曜日のお休みです。

実は、GWの恒例が家族との《名探偵コナン》の映画だったのですが、皆大人になって、次男も中々帰って来ない…

数年前に行った時に、これで最後だな、と思っていたのが

4月上旬に長男から

今から自分の休みを決めるので、良かったらコナン観に行く❓

と、信じられない言葉が。

三男も居たので、その時に5月1日と決めたのです。

よって、今日お休みなのは私が希望しての事。

なのに、何故今こうしているかと言うと…

三男の会社は有給を使えばGWは11連休の人もいるみたいで、1日は休みを取ってくれました。

でも、ここに三男は居ません。

先週突然に上司が(以前に少し話した事が有るんですが、仕事は丸投げ、遅刻はするダメ上司)突然にその日は用事が出来たので出勤してと言って来たそうな。

一年間耐えて来た三男も、そこは「予定があるので」

と返したら

新年度は三男の後に、昨年入社した高卒の同期が配属される予定で

あろう事がその上司は

「だったらそいつを勤務させるしかないな」

と言った。

前の現場がまだ終わらない為に引き継ぎも全くしてない子を1人で出勤させる訳にはいかなくて

「自分が出るからいいです」

と、三男は今日は仕事になってしまったのでした。

そして、その上司は

まだ10代のその子に

「ちゃんと色々チェックしておけよ」と言うような高圧的な電話をしたみたいで

「会う前から仲が悪くなってしまった」

三男の心配は尽きません。


それでも今日は朝から日差しも暖かく、とても穏やかな天気。

洗濯も沢山して、昨夜やったのはもう乾いて、今も洗濯機を回している状態ですが…


突然の雨。

雷の音が段々近付いてきます。


春雷は、春の到来を伝える雷と言われています。

私には、春雷という思い出の曲が有ります。

フォークデュオ《ふきのとう》の79年の曲です。


突然の雷が 酔心地 春の宵に

このままじゃ夜明けまで 野ざらし ずぶ濡れ

春の雷に 白い花が散り

桜花吹雪 風に消えてゆく


細坪さんの澄んだ声が好きでした。


今日は、先日夢ちゃんの狂犬病の予防接種をしたのですが、隣街の病院だった為にそこで証明をもらう事が出来なかったんです。

私の住む美化センターに行かなければならず、雨が降って来たら行く気も半減。

しかし、明日から3日間は仕事で行けないし、どうするか、昼食の支度もせずに悶々としている私です。


長男が夜勤明けで帰って来ているので、そろそろ動き出します。

けれど、春の雷をききながら

私にはもう一つの憂鬱が…


双極性障害の友達ですが、帰って来た次の日に顔を見てから音信不通。

こちらからは連絡を控えていました。

昨日です。

旦那さんが買い物に来て、明らかに顔に疲労感が漂っていました。

「悪くなっちゃってね」


返す言葉も有りません。

旅行から帰って来て、一度通院した時に病院で発作を起こして迎えに行ったと。

と言うことは、1人で峠を越えて運転して行ったのか❓

夜にラインをしてみました。 

彼女からは

「旅行は楽しかったけど、帰って来たら現実に引き戻されてしまった、入院を勧められている」

でした。

何をしてもダメなのか。


今この雷を彼女も聴いているだろう。

雷は怖くて苦手だけれど、春を告げると思うと感じ方も少し変わります。

彼女に何かそう言うきっかけは無いものか。


でも、家に帰って悪化したのは、疲れも勿論有るだろうけれど、旦那さんとの関係も有るのかな、と思ってしまいます。

人との関わり方は、本当に難しいです。

私は今、勤務先の数人に悩まされています。

同じ気持ちの人が沢山います。

でも、仕事でしか接しないので、そこはやり過ごしたり愚痴を言い合ったりで紛らしてますが、家族も自分以外の人間なんですよね。

だから、それがストレスになった時はどうすればいいんだろう…

難しい問題です。


今、私は主治医からアレルギーの薬を処方してもらい、目の腫れも治まって来ました。

心の悩みを薬で解決出来るのだろうか❓


今の私は、見守るしか出来ない。

雨のように彼女の悲しみが何処かに流れていけば良いのに…


花より団子(草)の夢ちゃん

今日はお休みです。

昨夜は、三男がGWの第一段階のお休みで帰ってきてテンションも高い夢ちゃん(私も)

10時に美容院に行く予定で、いつもよりはゆっくりしながらも夢ちゃんとの散歩は欠かしません。

9時過ぎに家を出ていつものコース。f:id:JunchanObachan:20170428205517j:plain一気に増えた草を夢ちゃんは見逃しません。

早足で歩くのに草を見ると寄り道。

f:id:JunchanObachan:20170428211556p:plain今日はこんな笑顔を見せてくれました。

楽しいね‼️f:id:JunchanObachan:20170428211713p:plain尻尾も上がります。

「おかあさん、ついてきて」

そうそう、夢はそうでなくちゃ。


私ですが、25日に通院してから随分瞼の炎症が治りました。

アレルギーの薬を服用し「コットン生まれの化粧水」という商品を購入し試した所、全くヒリヒリせずに肌のシワシワも大分治りました。

…良かった、あのままシワだらけにならずに済んで…心の声


GWが明けてから血液検査をします。

主治医に話して、その時に一緒にアレルギーの検査も加えてもらう事になりました。


明日から忙しい毎日となります。

世間は連休の喧騒の中…

私達、サービス業に従事する者にとっては一年の中の節目でも有ります。

そこを乗り切ったら、夏がやってきます。

終わりのない戦いなのかも❓

でも、だから良いのかもしれませんね。

最近は少しそう思う事も有ります。

丁度1週間前に、親友は九州へと旅立ちました。
「気をつけて行ってきてね」
簡潔な言葉で送り出しました。
旦那さんにはマメに連絡を取ると言う事で主治医の許しも出た旅行、気分転換になれば、祈るような気持ちでした。
surboxさんの助言を得て、一度だけラインをしました。
30分後に既読になり、その少し後に
「息子と夜中2時まで遊んだ、入院した時の友達と食事した」 
など、楽しそうな返信が有りました。
次の日も友達と会う予定だと。
九州に2泊、途中旦那さんの親戚に1泊、関東の遊園地のホテルに1泊、私はそう聞いていたので、あまりしつこくこちらから連絡するのは控えて、後は信じて帰りを待つ事に。
それでも、関東に宿泊の最後の夜には、こちらの八分咲きの桜の画像と、短いメッセージを送りました。
それは、彼女が遺書を書いて自ら命を絶つと言った夜(と思われる)でした。
数時間して既読になりました。
こちらの桜を見たいと思ってくれれば、そして待っている人がいる、そんな気持ちになってくれることを祈るしかありませんでした。
返信は有りませんでした。
もしも、何か有ったなら、旦那さんが携帯の履歴を見て私に連絡をくれるだろう
そう言った事も無いのだから大丈夫…
そう言い聞かせていたけれど、時間は過ぎるばかり。

21日、私は
「帰ってきた❓」
とだけラインを。
「遊園地に行って明日帰る」
返信に安堵したけれど
私に話したのよりも2泊も多くなっていたなんて。
それは、旅の途中でもっと遊びたくなり、旦那さんの了承も得て日数を増やしたのか
そもそも最初からその予定で、私が勝手に4泊と思い込んでしまったのか…
分かりません。
けれど、私の悶々とした夜‼️が2日も増えた事は事実。

でも、帰ると行った日にも音沙汰は有りませんでした。
そして昨日、私の勤務先に彼女の姿が。
買い物に来たのです。
多少疲れた顔はしている感じでしたが、いたって普通な感じ。
そして私に
「帰って来ちゃった」
一言。
私は極力心配していたと言う言葉は出さずに
「何時に帰ったの❓」
答えは前日の15時でした。
そして、旦那さんのお姉さんに会って、旦那さんと別れたいと言って号泣した話を又私に言いました。
それは、明日帰ると言った時にラインに書いていたので知っていたけれど。
「泣く事は大切な事だとも思うから、お姉さんに聞いてもらえて良かったね」とだけ話して
彼女はそのまま帰って行きました。
私の中に、そんな簡単に帰った来ちゃったみたいに言われても…
私はどれだけ心配していたのか
夜も眠れなくて
その為か朝は瞼が腫れて
振り回されたと言う気持ちが芽生えて否めない。
昔の彼女だったら有り得ないこと。
でも、それが病なのだと教えてくれる人が居ました。
happyさん、マミーさん、surboxさんが心配してくださったのはこう言うことかと思いました。  
私は完全とまではいかないまでも、彼女の苦しみの中に飲み込まれて、努めて日常の事を変わりなくやっていても、今日もそうですが足に鉛がくっついてしまった感じ。
テキパキと動くのが辛かったり、しかも…顔が酷い事になりました。  
数日前から、顔が異常に乾燥して、朝起きた時は、日頃無いシワまで出現し
松ぼっくりか🤚」
とツッコミたくなるくらい。
そして瞼の腫れは酷くなりf:id:JunchanObachan:20170424193521j:plain
こんな感じになってしまいました。
もうショックで…
今日などは、会う人の殆どが
「どうしたの❓」
お客様にも 
「その顔どうしたんですか‼️」 
その都度
「花粉症なんです」
そうなのかな…
分かりません。  
夜中何度も痒くて身が覚めます。
今は熱を持っています。
明日は病院に行くつもりでいますが、総合病院の皮膚科は、造影剤の副作用の時の印象が良くないので避けたい。
20年来の付き合いだった漢方薬の皮膚科の医師は、色々会って行きにくい。
心臓の先生が皮膚まで診てくれるかな❓

夕べ、ここまでしたためて
そのまま眠ってしまい、記憶の中では長男に毛布を掛けてもらっていました。
遠くに
「身体壊すよ」
その言葉の余韻が残っています。
添付した画像は削除しようとも思いましたが
(気持ち悪いので)
しかも、自分でもお見せしたく無い姿です。
でも、お医者様に見てもらうような気持ちに、はてなの方には感じてしまう自分がいます。
だから、そのままにしておきます。
今日は良い天気。
顔も痒くありません。  
お休みなのでゆっくり起きた後に病院に行って来ます。
心臓の主治医が 
「今度は血液検査をしておきましょう」と言ってたので、検査の項目にアレルギーも入れてもらおうかと思っています。  

では、皆様の1日が良い1日になりますように。



院外処方で感じた事

私は現在2つの病院に通院しています。

実際にはあと一つ有るのですが、椎間板ヘルニアが落ち着いている為にそちらは休止中。

薬の飲み合わせの事も有り、調剤薬局は一つにした方が良いと聞いていたので、一昨年から心臓の方の病院の近くにある薬局に決めました。

お腹の方の病院ではその近くの薬局に何度か行っていたのですが、通院を同じ日にする様になったので(風邪とかではなくて、行く予定を決められる通院の為一度で済ませたかった)

心臓の方の近くの薬局一本にしました。

そこのおじさんの薬剤師さんは(何人か居ましたが大体いつもその方でした)

フレンドリーな感じで、処方箋を見て病気の症状なども把握して、薬の飲み方、注意点なども話してくれました。

ひとつ気にかかったのは、ちょっと上から目線な所。

そして今回、私が薬局を変えようとまで思ってしまった事とは…


私の場合、持病なので毎月必ず通院し薬も必要となります。

薬局としたらその薬を用意してあるべきでは❓

最初の頃に

「薬が〇錠足りないので後から郵送します、料金は先に頂いてますので」

そう言われた時は

「そうだよな、離れた所の病院からの処方箋だから用意も無かったかも」

と思ってお願いしたけれど

数年の間に後から郵送が何回有ったか。

その都度、その薬剤師さんは申し訳ない感じではなくて、それがちょっと引っかかり始めた頃

1週間以上経っても届かないので電話したら

「土日に引っかかってしまったので来週送ります」

って。

そして今回

またしても薬が足りないと言われて

さすがの私も顔に出たと思います。

取り敢えず当面の服用には問題なくても、その足りない分の把握とか、しかも届くまでにこっちが忘れてしまう事もあり得るし、もう勘弁して欲しいと思いました。

そして1週間後、私もすっかり忘れて居たのですが薬剤師から着信がありかけ直したら

「先日足りない分の薬のメモを取るのを忘れてしまって、何錠足りないか分かりますか」

えっ‼️え〜

ここは冷静に

「今出先なので分かりません、家に帰ったらメモに残して有ると思うので連絡します」

でも、これってこっちが控えなければならないものか〜

大体薬局は薬の数とか管理してないの❓

と思いました。

しかし、帰宅後、ここは天然な(A型転じてズボラになった)私です。

どうやらメモを捨ててしまったみたい。

でも、記憶は残っていました。確か100錠以上だったと。

次の日に電話をして伝えたら

「では、108錠送ります。足りなかったら又言ってください、月曜日には届きます」

昨日の火曜日。

まだポストには届いていませんでした。

通院する者にとって、近くの薬局は助かります。

けれど、今回の事で私はその薬局は見限りました。

母の通院で行ってる、総合病院の近くの薬局は、偶に薬が足りない時は

凄く申し訳なさそうにして、でも直ぐに届きます。しかも宅配便です。手渡しです。

私の行っている薬局は、普通郵便でポストに入っているので私は見落とす事が有るんです。

少し離れていて不便だけれど、そっちに変えるつもりです。

しかし、今回薬が届かないと電話するのも面倒。

さすがに頭にきます。

失態ばかりのドライブ

14日、親友とのドライブに行って来ました。

一度しか行った事のない彼女の家は、特別な目印も無くて分かりにくいところです。

でも、忙しさにかまけて、彼女に右折する時の目印を再確認する事もなく、何故か変な自信も有ってスタート。

途中でガソリンを給油して、そしてお弁当を買いました。

ドライブするとなると往復で1時間半はみたい。そして何処かで食事をしたら2時間くらいはゆっくりしたい。  

合わせて3時間半は欲しい。

ドライブという事を告げて、オッケーが出たけれど、彼女の指定した時間は

「11時20分頃に迎えに来て欲しい、15時からは歯医者の予約があるので14時には帰りたい」

2時間半は微妙な時間でした。

幸いにも天気が良かったので、ドライブの後に芝生の有る公園でお弁当、そんな感じでいました。

約束の時間にほぼピッタリ。

しかし…

私は彼女の家の右折を見逃してしまい、後ろのお爺さんの車がピッタリくっついてくる為に直進して左側に会ったコンビニから電話をしました。 

彼女はコンビニまで車で行くよと言ってくれたけど、待てど暮らせど来ません。

電話をしたら

「何処のコンビニ‼️」

と言われちゃった⤵️⤵️

私は行き過ぎたと言ったのに、彼女は何故か家から私の来た方に戻って同じ名前のコンビニで待っていたのです。

やっと出会って、ちょっと気分もイマイチになってしまったけれどスタート。

運転は順調です💨💨

色々な話が出来ました。長男といつか行った場所で、又違う顔を見せてくれている富士山を2人で眺めました。f:id:JunchanObachan:20170418132221j:plain風が少し強かったので、湖はさざ波が見えました。f:id:JunchanObachan:20170418132346j:plainこちらに越してきてから、娘さんや旦那さんと富士山の見える場所には何度も行ったようで、彼女は写真を撮ることはしませんでした。

最初に時間のロスが有った為に、もう昼を過ぎてしまっています。

お昼は、下の2人が幼かった頃に父がよく連れて行ってくれた芝生の有る公園で取ることにしました。

思いの外彼女は食欲が有って、おにぎりも2つ食べました。

ごく自然な形で、彼女は辛かった時の事を語り始めました。

20代の後半に、彼女は看護師の資格を得るまでの間、見事に走り続けていたのです。

子育て、家事も完璧にして、看護学校の合間に週に2日は早朝のファミレスでアルバイトもしていました。

120%で走っていたと思う。

ポツリとそう言いました。

その頃は、今の様な病に苦しむなど思ってもみなかったでしょう。

最初に症状が現れたのは、九州に越してから。

或る精神科に勤務して、婦長の立場になったそうです。

患者さんや看護師からは慕われていたけれど、もう1人の婦長が居て(どういう形の病院か分かりませんが)

派閥があった様です。

彼女は派閥を作るタイプでは無いので、そういった苦しみ、そして仕事の疲れ、ある日倒れてしまったと話した頃には涙が流れていました。

私は、聞いているしかなかった。

その後、11回もの入院。

今日行く事になっている歯科医院は、入院中に転倒し前歯が3本折れてしまって、4本目も抜かなければならないと言われていたのが、そこの歯科医は抜かなくても良いと行ってくれたそうで、その治療の為です。

薬で朦朧としている為に、顔面を強打した、私はその頃の彼女に会う事が無かったので、長い長い辛い日々を思うとかける言葉も有りません。

風が冷たくなってきたので公園を後にして、彼女と別れる前に、九州に行くスケジュールを教えてもらいました。

九州に2泊、途中で親戚の家に1泊、関東の遊園地のホテルに1泊

20日には帰ってくる予定です。

遺書の事は口にしませんでした。


出発の日 

「気をつけてね」

とだけメールして

そして、或る人の助言で、彼女に今朝ラインをしました。

「こちらは良い天気だよ。

桜も咲きました、空は何処までも蒼く。

離れていても同じ空を見れるね」

それだけ。

30分後に返信が来ました。

息子と夜中の3時まで遊んで疲れた事、入院した時の友達とお寿司を食べた事、楽しそうでした。

私は、心の中では、死の誘惑に負けないで、帰って来たと叫んでいます。

けれど、一度も言葉には出しませんでした。

彼女に、じゃんちゃんに又会いたい‼️と思って欲しかったのです。 

メールでの連絡は一回にします。

もう、彼女を信じるしかない。旦那さんにはマメに連絡を入れているようなので。

そして、会った時にふっと感じたのが、1人になりたいという気持ちが見え隠れするのです。

旦那さんは優しい人だけれど、帰るコールが来ると、テンション下がるみたいな。

「またつまみを作れって、面倒」

それ、きっと彼女は誰にも言わなかったんじゃないかな❓

日常のちょっとした愚痴も、溜めてしまうと塊になります。

でも、彼女は分かっているのです。旦那さんが自分の事を如何に大切に思っているか。


私と会った日には彼女は悪夢を見たようで、ずっと泣いていたそうです。

「どうしてそんなに泣くの」

ずっと慰めてくれたって。

良い旦那さんだよ。

でも、いつも一緒に居たら重荷になる事も有る、わかる気もする。

私と会う時も

「今日はキャンセルしようかと迷った」

本音を言いました。

悪夢の余韻が辛かったんでしょう。

そんな時に、道に迷ったぁ

行くしかなかった状況を作っちゃった😓😓

天然は相変わらず健在なのでした。

湖の近くにバックで駐車する時に

「一回では入れにくいかもね、あっ出来たね」

私は危なっかしいと思われがち。そして今日の道に迷った件でちょっと信用を失いました。

そして、別れた後のメールには

「ストレス、溜めないようにね、嫌な事は誰かに話した方が楽になるよ」

彼女は看護師なので、私の病気の事を心配しての言葉。

励ますつもりが逆に励まされちゃった。


今私は、彼女を信じて待ちたいと思います。

決して命を粗末にするような人ではない。

信じるしか有りません。



自己嫌悪

今日は考えられない失敗を一度ならず、何回もやってしまいました。

平常心を保つのが難しい…

自分自身を振り返ってみると、人がズルイ事をしたり楽をしたり、嘘をついたり、そんなのが許せない所が有って(もうご存知かもしれませんが)それは心の中で思うので、あえて攻撃はしないで自分が悶々としてしまう。

だけど、自分のミスは後悔し過ぎて引きずってしまうのです。

今日は…

今まで積み重ねた信用を失う(これは大袈裟かもしれませんが、今の自分はそうとしか思えない)ミスの連発。 

分かっている事なのになんでそんな事…

というミスです。

一つは、あるお年寄りの方がずっとサービスカウンターの受付の椅子に座っていたのです。

それは、scがオープンする前から。

お年寄りの方はたまにそこの椅子で人を待っていたりするので、あえて声はかけなかったのです。

何十分も後に…

私がscをオープンさせたら「これお願いします」

…その人は開くのを待っていたのです。

私は何度もその方の側を通り過ぎていました。

以前に同じ様な人に 「ご用件はお有りですか❓」と声をかけたら、その人はただ座っていただけなので、邪魔と受け取られてしまって嫌な顔をされたのです。

その方には

「申し訳ありません、いらっしゃるのは分かっていたのですが、どなたかをお待ちだと勝手に思い込んでしまって声もかけませんでした。時間前でも受付できますので、いつでもお声をかけて下さい。貴重な時間を申し訳ありませんでした」 

とおわびしました。

本当に申し訳なかったです。 

優しい方で、笑顔で返して下さいました。


1日のスタートがこんな感じで、その時の自分はこんな事になるとは思ってもみませんでした。

入荷した商品を出した時に、段ボールに貼り付けて有った伝票をとり忘れてしまった(気付いてくれた人がいて紛失はしなかった)

その他にも、普段の自分がやっている事を忘れたかの様なミス…


ふっと私は、数年前に車をぶつけられた事を思い出しました。

三男がまだ高校生だった夏休み、三男を送ってから出勤する予定で家から出た10mくらいの所で右側から急に車が出て来てぶつけられ、運転席のドアは開かない位凹んでしまいました。

三男は自力で予定の場所に行き、私は保険会社の担当者に電話、相手は近所の息子さんでしたが、態度が悪くくわえタバコをしていました。

「俺が悪いのか‼️」

第一声がそれでした。

私の保険会社の人は早々に来てくれて、後は会社同士のやりとりになるので私は職場に向かいました。

幸いにも私がいつも車検とかお願いしている自工は勤務先から1分位の場所にあります。

そこまで運転して行き車を預けました。


しかし…職場に行っても、全く仕事にならなかったんです。

何が何処に有るか分からない。

さすがに自分でもダメだと思って、職場のマネージャーに早退したいと事情を話し始めたら、意思とは裏腹に涙が溢れて来たのです。

マネージャーは驚いた顔をしていたけれど、帰るように言いました。

事故という咄嗟のことが精神的なダメージを与えていたのに、自分では大丈夫と思ってしまい、そのアンバランスな感じが普段出来ている事も出来なくなってしまったんだと思いました。


今日の私の原因がそれと同じなのかは分かりません。

でも、今の私はやはり少し参っています。

皆さんが心配して下さった、そんな風にはなっていないと信じたいですが、何とも言えません。

14日に友達に会いました。

その事は、気持ちが落ち着いたらブログで報告させて頂きます。

今の自分がその事を語ったら、冷静な文章になる気がしません。


今日の自分は辛かったです。

人に迷惑をかけてしまった、そしてミスをした事で信用を失った、それが辛いのです。

職場で一番になろうなどとは思っていません。

私がなりたいなと思っていたのは

「あの人に任せれは安心だね、信頼できるね」と思われる事。

今日の自分は真逆な事をしてしまいました。


今夜は長男は夜勤で居ません。 

そんな私の気持ちを知ったか知らずか、夢ちゃんピッタリくっついてくれてます。


心に響く言葉

昨日の私のブログに対して
マミーさん、happyさん、surboxさんからのコメント、何度も何度も読ませていただきました。
自分自身、上手く気持ちを文章にする自信もなく、支離滅裂になってしまうかもしれませんが、こちらの方で返信というかたちにさせて頂きます。
まず、本当に、本当に有難うございます。
お会いした事も無い私に対して、そこまで真摯に考えてくださり、又心配してくださった事、感謝の気持ちで一杯です。
皆様の危惧した通り、あのラインを受け取ってから、私は引きずられる…と言うか、その恐怖に頭の中が一杯になっていました。
明らかに助けを求めているのに、何をして良いのか分からなくて、かける言葉も見つからない自分。
文章で確信に触れるのはやめて、会う約束だけをしました。
文章には怖さが有ります。受け取り方で逆効果になってしまったら…
それから私は、色んな事に想いを巡らせました。

今年の2月に私の運転で厄地蔵に2人で行きました。車は近くの小学校の校庭に停めるのですが、寒さが一番厳しい頃にも関わらず晴れていたので、校庭はぬかるんでいました。
そこを歩き、崖とまではいかないけれど、小高い場所に有る所まで歩いてお札を貰います。思えば、18才の時にも彼女と2人で行きました。
私がその事を話すと、彼女は
「覚えていない」
と言いました。
その後彼女のアパートにお邪魔したら、彼女はビニールテープで縛った数冊の分厚いノートを持って来ました。
それは、2人が高校時代に始めた交換日記でした。
毎日数ページにもなって、風刺した似顔絵やら、当時好きだったスピードスケートの選手のことや…あらゆる事が今とは違う丸っこい文字で書かれていました。
懐かしそうにじっと見入っていたけれど、この前のラインでは
「〇〇ちゃんと呼ばれていたあの頃の記憶が無い」
でした。
私だって卒業して数十年も経つと、全てを覚えている訳ではなくても、色んなエピソードは記憶に刻まれています。
それが病のせいなのか。
そして、彼女はとても几帳面で、何事も完璧にやったが故にこの病になったのではないか❓とも思えました。

私は、彼女とは違うけれど、何度か帰路に立たされた事が有ります。
精神的に追い詰められた事も。
1人になってもう13年近くになりますが、旦那さんがいた頃は追い詰められていた様に思います。
家を購入した為に、19時から22時までの仕事を始めました。
下2人が幼いのに何故❓と思うかもしれませんが、家族の協力が有れば出来るのと、昼の仕事だったら子供が熱を出したりとか具合が悪くなった時に急に休まざるを得ないですが、夜だったら家族に診てもらえるので職場に迷惑をかけないと思ったのです。
でも、いつしか旦那さんは夜お酒を飲み歩いて子供達だけにして居なくなる事が多くなりました。
私は或る日、帰り道を運転している時に
「このまま何処かに行ってしまいたい」
という思いに急に囚われてしまい、帰り道とは違う方向に車を走らせました。
立体になっている道路の脇に車を停めてハザードをたいた時に、下の道路の標識にそれが跳ね返って同じリズムで光っていました。 
自分は今、何をしているんだろう、ボンヤリとそんな事を考えて
どれ位その場所にいたのでしょう…
ふと、子供達とワンコの顔が浮かびました。
目が覚めた様な感覚になって、自宅に戻ったら、やはり旦那さんは不在で子供達は皆んな起きていました。
その後、あらゆる不審な行動を繰り返した挙句に借金がある事が分かって弁護士に示談にして貰いましたが、自分の事で有りながら他人任せな態度に三下り半という形で終わりを告げました。
今の私の口調が、相手ばかりを悪く言うように取られてしまったら困るのですが…
今思えば、私があらゆる事から相手を拒絶した為にそうなったのかもしれないと思う事も有ります。
けれど、最後まで嘘を付いた事と、闇金にうちの住所と電話番号を教えたことは今でも酷い奴だと思います。
お陰で私達は、嫌がらせ電話(番号は変えました)借金を勧誘するハガキが1日に何枚も届くようになりました。
そのトラウマで、私は知らない番号の電話には出られなくなり、郵便物をポストから取り出す事が出来ません。
なので、口座振替をやめたので電気とかガスの請求書を見逃す事が有るのです。
それがズボラまず一つ目です。
そして、昼も夜も働いていた頃、行方不明になる物が増えました。
例えば、お気に入りだったあの服、何処❓みたいな。
毎日の掃除、洗濯、食事の支度はこなしても、それ以上の事を後回しにした結果です。
これがズボラ二つ目。
私はズボラな故にここまで来れたのかな、と思う事が有ります。
彼女だったら、きっと辛くても自分が横になるとかせずに完璧にして来たのでは…

長男が心療内科に通った時に、医師は
「コッブから水が溢れてしまった状態ですね」
と言いました。
私はその言葉が常に頭に有って、水を溢れさせてはいけないと思っていたのかもしれません。
でも、そんな自分は最近、冠攣縮性狭心症過敏性腸症候群と診断されています。
ストレスが、心ではなくて体に影響を与える形です。
自分の中で危機管理が働いているのでしょうか❓
大人になったとはいえ子供達の存在、そして私だけを頼りにしている夢ちゃんの存在、それが大きい。
そして過去の自分も、幼かった子供達と当時健在だった2人のワンコ皆んなに救われた。

そんな自分も、彼女からあまりにもリアルに話を聞いてしまうと、本当にどうしていいのか分からなくなります。
彼女の高校時代のクラスは、まとまりが良くて毎年クラス会をしているようです。
県外にいた頃もよく参加していました。
その、彼女のクラスメートがたまに私の勤務先に顔を出して彼女の話になった事が有ります。病気の事は知らないようでした。
多分、私1人にしか話していないのだと思います。

入院は10回以上、長くて半年も入院した事も有り、そこで命を絶とうと行動を起こした事も…
身障者手帳も持っています。
こちらに越して来た時に、総合病院に紹介状を持っていったところ、症例が重篤過ぎて対応できないと別の病院を紹介されたと言っていました。
それで、県の中心部に有る専門の病院に通う事となったのですが、今回は主治医も危ないと思ったようで旦那さんと2人で行ったようです。
surboxさんの仰る様に、精神科の薬は体の自由を奪って思考能力も奪う…
そうなんですね、彼女はスポーツマンでいつも明るい子で社交的でした。
こちらで仕事についた時に、職場の人から
「物覚えが悪い、仕事に時間がかかる」
と言われたと。
段々年齢と共に衰えは有ります。
けれど彼女が話す状況は年齢だけとは思えませんでした。
そして、happyさんの言葉。
励ましの言葉が逆になる場合も…
ラインの返しは誕生日の事と、次に会う約束、その程度にしておいてよかったと思いました。
そして、マミーさんの言葉。
精神疾患は素人がどうにも出来るものではない
とても心に響きました。
ここに記した言葉だけでなくて、すべての言葉を大切に受け止めさせて貰いました。
本当にありがとうございます。
私は怖かったのです。
自分が居るから帰って来たと言われて、責任を感じながらもどうする事も出来ずに。

自分の事を話してみようかと思いました。
あの、ハザードランプを跳ね返した標識が映った自分の瞳。
過ぎて行く時間。
救ったのは子供達とワンコの存在だったと。
以前彼女が嬉しそうに話した事が有ります。
個人でブリーダーみたいな事をしていた頃にに、プードルが赤ちゃんを産んだと話した時の彼女はとても穏やかで明るい顔をしていました。
今彼女の娘には子供が1人居ます。
その孫を偶に預かって居る様です。
そういった事を話すのも良いのかなと思います。

最後に、手探りで何も分からない所から始めさせてもらったはてなのブログ。
拙い自分のブログに訪問してくださり、そして友の様に心配してくださり感謝の気持ちでいっぱいです。
あまりにも重過ぎて、身近な人には話せませんでした。自分の事のように受け止めてくださり、尚且つ私の心配まで。

今、私は、ズボラながらも頑張って来て良かったな、つくづく思っています。
その日々が有ったから、皆様と出会えたんだと思います。
ありがとうございます。