この前の休みに病院に行って以来、今日まで母に会うことは有りませんでした。
仕事が遅くなってしまったのと、自分の中で行く勇気が無かったのが理由です。
姉と弟は、多分私が仕事が忙しいのを気遣っての事と思うのですが、主治医と話をして母の外出を決めました。
それが今日です。
本来だったら、今日は病院での話し合いの日の予定でした。
私の休みの日にしてもらっていたのです。
数日間の間に話がずいぶん変わっていました。
今日の外出は10時から14時まで。
体には色々な管が付いているので、個人で連れてくることは出来ません。
介護タクシーを依頼してストレッャーで運びました。
私は9時に病院の予約が有ったので、連れてくるのは姉と弟に頼んで、食事の方を用意しました。
何がいいだろう…
前日からおでんを作っておきました。
そして朝にドリアを作りました。
メニューはバラバラですが、日頃母が食べたいと言っていたものを優先しました。
けれど、私が家に着いたら
「ほうとうが食べたいと言っている」
弟に言われて大ショック。
結局ほうとうは作らずに(時間が限られている為に)用意したものをみんなで食べました。
母は、おでんの大根を一切れ、ドリアを大きいスプーンに1杯食べました。
私は能天気に「次に外出した時にはほうとうにすればいいよね」
などと話していたけれど、姉と弟は何にも言いませんでした。
母を病院に送って、その後3人で話した時にその理由が分かりました。
もう緩和ケアという専門の看護師さんが付いている状況という事、薬はモルヒネを数日前から処方されている事
残された時間を楽に過ごせるように…
そんな治療になっているのでした。
私も、実家でモルヒネと書いた薬の袋を見た時に、それには気付いていたんです。
でも、心の中では「また元気に歩いて退院できるかもしれない」
そんな希望を持ちたいと思っていました。
現実は残酷で、そして確実に時間は過ぎて行きます。
今日の外出も、緊急の場合の時の電話番号も持たされていました。
外出の話をした時に、母は下を向いたままじっとして聞いていたそうです。
元々感の鋭い人なので、全てを分かっているような気もします。
入院している状況では信じられない言葉も看護師さんから言われました。
「食べたい物が有ったら持って来て良いですよ」
明日は甘納豆を持っていこう、そう思いました。
仕事を休んでずっとずっと側に居たい。
正直な気持ちはそう。
でも、きっと母は私がずっとそこに居たら
「仕事はどうした❓」と言うでしょう。
兄弟の中で一番心配をかけた私、それも有ってか私の子供達には特に優しく接してくれた。
片親でも子供達が真っ直ぐに育ってくれたのは、やはり私の両親の存在が大きかったのだとしみじみ思いました。
最近の私は、自分自身の将来の事に加えて、自宅の事も色々考えることも多く、そして母のこと、頭の中が整理できないようになってしまった日が有りました。
このままではいけない。
仕事の後に夢ちゃんと散歩している時に涙がずっと流れました。
夢ちゃんは又いつかの時と同じように、首を私の方に向けたまま歩き続けました。
「おかあさん、ゆめがいるよ」
そう言ってくれているようでした。
「ありがとう」
明日も私は同じ生活を続けます。
「頑張っているのがお前なんだよ」
母はきっとそう言ってくれる。
15時前の富士山です。逆光だったのでこんな風になりましたが、雄大な姿でした。
暫く更新は出来ないと思います。
同じ空の下、じゅんちゃんおばちゃんは頑張っている、そんな風に思って待っていて下さるとありがたいです。
そして皆様にはいつも優しい言葉をかけていただきほんとうに感謝しています。
ありがとうございます。
昨日から気温が低くなっていますので、くれぐれも風邪などひかれないよう気を付けてくださいね。