大雄山最乗寺 天狗伝説: 足柄の山に天狗が舞う 寺を天狗が守る
大雄山は昔から何度も訪れていました。
幼い頃は新年に、多分近所の商店街か老人クラブか、そんなバスツアーで祖母と行ったものです。
寒い中真っ暗なうちに出発するので、子供ながらに随分遠くまで行った印象でした。
そこは想像を絶する階段が続き、天狗伝説の通りに天狗の大きな下駄が有りました。
大人になってからも、何かの折に父は私を連れて行ってくれました。
暫しの別れになります。
父はそんな時に私と長男を連れて行きました。
散策した後に、田舎町の片隅に小さな時計店が有りました。
何も言わずに父はそこに立ち寄り
「どの時計がいいか」と聞きました。
私は、今まで迷惑と心配をかけた父に対して気兼ねもあり、小さな時計を指さしました。
その時計は、見知らぬ土地で早起きをしなければならない私を随分助けてくれました。
そして、時間は流れて役目を終えようとしていた頃に、両親も歳を重ね度々入院する事が多くなってきました。
病室には時計が必要です。
私は思い出のその時計を持参しました。
15年以上の時を経て、時計は父の元に戻って行きました。
母の部屋を整理していた時、その時計は現れました。
日に焼けて、電池の収納の蓋も無くなっていました。
でも、ちゃんと動きます。
ずっとずっと時を刻み続けていてくれました。
仮にその時計が動かなくても、私にとっては宝物以外の何者でもなかったでしょう。
今は私の側で「カチカチ」時を刻み続けます。
この1月は、私にとって哀しみの月になりました。
けれど、母が旅立った日の空はどこまでも蒼く、富士山には或る姿が現れていました。地元では毎年5月頃になると「農鳥」と呼ばれる鳥が現れます。富士山の雪解けと共に現れるのです。
それは昔から、人々が農作業の目安にしていたと聞きました。
イトーヨーカドーさんのロゴによく似ています。
でもこの時期に鳥の姿が現れたのを、私は見た事が有りませんでした。
そして、その姿は鳳凰の様に長い尾が有ります。ここです。
ネットで調べたら、鳳凰の姿は吉兆なのだそうです。
自分勝手な思い込みですが、誰にも訪れる哀しみと別れ、それでも時間は止まることは無いのだよ、歩き続けなさいと言われている様な気持ちになりました。
いえ、なったとは言えないです。
自分でそういう風に思いを持っていく、そんな感じです。
母に対しては色々な思いが駆け巡っているので、今はまだ多くを語る事が出来ません。
それでもこうやって、ブログに向かう事が出来ました。
それはひとえに、静かに見守って下さった皆様のお陰です。
本当にありがとうございます。
まだまだ厳しい冬は続きますが、春になったら…そんな風に思うと楽しいですよね。
インフルエンザも流行しています。
くれぐれもお気をつけ下さいね。
そして、これからもどうかよろしくお願いいたします。