今日は7月とは思えない寒い一日でした。
先月、お休みの希望を提出するのに今日を選ばなかった事に気付いていたのですが、そのままにしていました。
ちょうど2年前の今日、事故に遭ったのでした。随分前のことになるのですが、今と違う職場の時にそこで一緒だった当時高校生の男の子が、或る日頭の傷を見せてくれました。
気心が知れて来たからだったのでしょう
私に淡々と話し始めたのです。
その子の家は、1階が父親が経営する作業場があって2階が自宅でした。
幼い頃にその2階から転落して頭を怪我したのだそうです。
髪に隠れて分かりませんが、10センチ以上で周りは髪も生えていない傷跡から尋常ではない怪我が想像出来ました。
「母親は、それ以降毎年その日にお赤飯を炊いてくれる」
その話を聞いて、母の愛情の深さ、そして命が助かった事への感謝の気持ちが痛いほど伝わって来ました。
今もその子のお母さんは毎年お赤飯を炊いているのだろう…
私自身は2年前のその日の出来事で、色々な影響を受けました。
思い出したくない日。辛かった日、痛かった日。
そうかも知れないけれど、今私はここに居る。
これからは感謝すべき日として迎えることにしよう、そんな風に思いました。16年の7月15日
三男は夢ちゃんに見守られて眠っていました。事故の前の年です。
そして事故の日にもここに帰って来てくれました。
元々来る予定だったので、長男の判断で何も伝えず(動揺するので)帰宅して私の顔を見て凄く驚いたのを今でも鮮明に覚えています。
三男はいつもこの日に帰ってきてくれていたんだね。
昨日食事に行った帰り道で私が
「夢ちゃんと元気に暮らしていくことが目標なんだ、誰にも迷惑をかけないで…」
と話したら、ポツリと
「山梨は健康寿命が1位らしいよ」と呟いた。
私に、元気で長生きしてほしい、と言っているように聞こえました。
山梨の人は無尽をするのが良いらしい、とも言っていました。
そういう集まりで人と話したりする事が寿命が長くなる秘訣なんでしょうね。
イヤイヤ、今の私には返ってストレスになってしまうわ。
出かけて人と話すのが億劫になってしまい楽しくなくなってしまった久しい。
きっかけは、皆んなが同じ職場で私だけが違ったので、仕事の話ばかりされると最初は入っていけたけれど段々それがストレスになってしまい、合わせるだけの会話が段々キツくなってしまった、そんな感じです。
高校時代にもそんな事有ったなぁ…
部活が忙しくて友達と一緒にお弁当を食べる時間も無くなってしまったら、段々会話に入って行けなくなってしまった。
私がひとりが平気なのは、その頃からの流れだったのでしょうか…
横浜の職場では、皆んなに妹のように可愛がってもらって、活発だった女の子でした。
それは私の理想であり、本当の姿は孤独な人間なのかもしれません。
最後に、今日のタイトルで《帰還》はちょっと使い方間違ってますよね。
帰還は、例えば宇宙からとか、戦地からとか、それくらい大変な所から帰ってこれた時に使うらしい。
こんな大袈裟な表現は今年最後にします。
来年からは今日は【感謝の日】にしたいと思います。
今こちらは雨音が強くなってきました。
気温が下がっているので、皆様もくれぐれも風邪などひかぬようお気を付け下さいね。
いつもありがとうございます。