JunchanObachanのブログ

じゅんちゃんおばちゃんの夢日記

母の恋

母が見ることが出来なかった桜が、そろそろ散り始めています。

月命日の日に(父と母は同じ月命日です)父が夢に現れて、私と三男にレストランでご馳走してくれました。ボーイさんがKis-My-Ft2の藤ヶ谷さんだった。何故そこに❓


夢ちゃんとの朝の散歩も寒さを感じても爽やかな毎日です。

そんな散歩の時に、私は色々なことを考える事が有るんです。

「家の断捨離をそろそろ本腰入れなきゃ」

に始まって、母の居たあの部屋を思い浮かべました。あの部屋からはベッドも無くなって、その側に置いてあった小物を入れる引き出しはそのままですが、中身は姉と弟が早い段階で整理していました。

仕事をしている私は、休みの日に中を確かめようと思っていたのです。

その中には…

母が初めて心臓が苦しくなった時に運ばれた総合病院の、退院した時の領収書が入っていました。

それは、母にとってなによりも大切な物だったのです。


もう8年近く前の深夜、誰から電話を貰ったかは全く覚えていないのですが、実家に着いた時母は苦しそうにあえいでいました。

「今死ねない、お父ちゃんが困る、今死ねない」

そんな事を言って、私が励ましているうちに救急車が到着し、車で後を追いました(勿論信号は守ります)その時の母は父の面倒をみていたので、まさに老老介護でした。

処置室に運ばれた母を、広くて真っ暗な待合室の片隅で待ち続けました。

苦しそうに叫ぶ声が1時間以上続き、やっと処置室の扉が開かれて、母は病室に運ばれました。

数日後に主治医から聞かされたのは《たこつぼ心筋症》という初めて耳にした病名でした。

その時の主治医は30前後と思われる、凄いイケメンの先生でした。

マスクをしていたので、内心「マスクをとったら普通なのでは?人間そんなに完璧な人が居ないだろうし」何て私が思う余裕もできる程、母は回復していました。

MRIの検査に付き添って廊下で待っていると、その主治医が現れて、数分会話を持ちました。その時マスクを外し、その姿は…完璧も言える整った容姿。


何故私が急にその時の光景を思い出したかというと

数日前に松坂桃李さん主演のドラマが始まりました。私は相手役の山本美月さんがわりと好きな女優さんなので録画しておいたのです。 

そのドラマは、山本さんの高校時代の片思いの相手が松坂桃李さんで、12年後に再会するのですが、スポーツマンだった桃李さんは事故で車椅子になっていた、という展開です。

第1話はとても感動的な内容でした。


母の主治医はどことなく松坂桃李さんに似ている、私はある日それに気付きました。

そして母の気持ちにも。

ある時、実家で一緒に食事をしていたら母が

「この人は朝ドラの時と全然違う」

何かのインタビューを受けている松坂桃李さんでした。

「そりゃそうかもね、朝ドラの時は戦時中の設定だから地味だったんじゃないの❓」

「こんなに違うのか」

母はずっと見つめていました。

母の眼差しのその奥には、あの母の命を救ってくれた主治医が映っていたのだと、私は暫くして確信することになるのでした。


母のその時の入院は1ヶ月以上でしたが、元気に退院することが出来ました。

その入院中に、母には恋心が芽生えたと思われます。

看護師の人に「あの先生は結婚しているのか❓」と聞いたら「さあね、自分で聞いてみれば^_^」と言われた、それは多分私だけに話してくれた母。

退院後初の外来での時 その医師は

「救急車で運ばれた時に処置をした看護師に○○さんは歩いて退院したよと伝えたらとても感動していましたよ」

そんな言葉に母は嬉しそうでした。

そして帰りの車の中で

「あの先生はね、凄いお洒落なんだよ。白衣も特注で肩の所に名前の刺繍がしてある。そんなの着ている医者は見たことが無いよ」

ずっと話していました。

1ヶ月後の通院の時、その医師はもう居ませんでした。東京の大学病院に異動になったと聞きました。 

「そうだよね、ずっと田舎の病院に居るような人じゃない」 母は寂しそうでした。

不思議なもので、自分達の意思とは関係なく、その病院との関わりもそれで終わる形になってしまったのです。 

何故かというと、又母が苦しくなって救急車を呼んだ時、2つある総合病院は曜日で担当が決まっているので、別の病院に運ばれることになってしまったのです。

そこで長く通院する事になった母。

そこで出会った循環器の先生は、見た目は髪の毛がくしゃくしゃで金田一耕助の様でした。

腕は良い先生でしたが、母はそれが不満のようでした。

「なんであんなに髪の毛がボザボサなのか…」

まさに、金田一耕助探偵を可愛くしたような医師でした(笑)(童顔なので)


ある日、母の引き出しを整理していたら

あの総合病院を退院した時の領収者がしまってありました。

あの主治医の名前が記入してあります。

「まだ待っていたんだね」 その問いに、母は何も答えませんでした。

私はその時、乙女のような母の気持ちを感じ「元気に退院した時の領収書だものね、大切だよね。○○先生にもお世話になったしね」

と言いながらも何も行動に移さなかった。

「大切なものだからちゃんとファイルしておこう。 」そうしておけば良かった。


母が居なくなって数週間もしないうちに、姉と弟はそこの引き出しを整理して、全て捨ててしまったようです。

私が休みの日に

「今日はね、ここに大切な物が入っているので取っていきたいと思って」 

「領収書だったら全部捨てたよ」

………💧💧💧

私がいけないのです。

兄弟に一言言っておけばよかった。言ったかもしれないけど、ちゃんと伝えなかったのかも。

ほんとうにその時は後悔しました。


数日前、勤務先のお昼休みの時に友達にその話をしたところ

「大切だと思う物の尺度は人それぞれ違うからね、○○ちゃんにとって大切なものでも、他人には紙くず…は言い過ぎかもしれないけど、何も感じないという事も有るよ」

「私はね、母が作ってくれたぬいぐるみをこの前捨てたんだ。でも自分の記憶の中にはずっと残っているから」

その言葉を聞いて泣きそうになりました。

そう、母が恋した医師のこと、そっとしまっておいた医師の名前の入っている領収書

私の記憶の中には母と一緒に永遠に残っている。

蛇足ですが、金田一耕助さんの領収書は山ほど有るんですけどね^_^


今朝は散歩の時に、ふとその時の事が頭をよぎって

そして、金田一耕助さんが主治医になってからの母の頑張り

心臓が苦しくならならないように勧められたオートセットという、空気を肺に送る在宅医療をずっと続けて頑張った。 

マスクを長時間つけるので、鼻の所に跡が付いていた母の顔を思い浮かべた時

散歩中でありなら喉の奥から嗚咽がこみ上げてきてしまった。

夢ちゃんが振り返って

「おかあさんどうしたの❓

夢、ジャンプしようか」

ありがとう、夢ちゃん。

気を取り直して、今日一日頑張って仕事してきました。f:id:JunchanObachan:20190418231006j:plainあの日の富士山を見たくなりました。

今日のように、母を思い出して泣いてしまった時

この季節には現れた事のない鳳凰の姿を見たいと思います。