JunchanObachanのブログ

じゅんちゃんおばちゃんの夢日記

終のすみか

先週の事です。

休みの日は母のお見舞いを日課にしていましたが、数日前から喉が痛くなってしまいました。そして夜中に腹痛。

喉が痛くなった時点で、母に会いに行くのはやめようと思っていたので、不動産屋に電話し約束しておきました。

午前中に病院に行き、午後の約束で不動産屋さんに向かいました。

電話に出た男性はとても感じの良い方で、初めて訪れる不動産屋は国道を使うと我が家から15分もかからない場所でした。

主にリゾート物件を扱う不動産屋さんです。

私の相談内容は電話で概ね伝えてあったので、出迎えてくれた男性は私の自宅の近隣の地図もコピーしたりある程度下調べをしてくれていました。

私の考えは

1、今住んでいる自宅を処分したい。

2、夢ちゃんと自分が快適に住める場所に引っ越したい。

でした。

不動産屋さんも商売です、そんな客が現れたら、まず物件を見せてくれる(良さそうなものは自分で調べてお願いしていたのですが)と思いきや、その方は今の私の状況を詳しく知ると

「今の所を離れたいという感情が先走っていませんか❓もう少しよく考えて。家を売って、新しい所に移るのをほぼ同時に出来ることはまず無理です。なので現状をどうするか、何が一番自分の負担なのか、それは我慢しきれない事なのか、もう一度よく考えてみて。それに、今住んでいる所は学校にも近くて立地条件は良いです。手放してしまったら又同じ様な土地を手に入れるのは大変な事ですよ。」

そんな風な事をおっしゃいました。

年齢的には私と同じくらいか…

でも人間的には随分上に思える方でした。

そして、別荘を探していると伝えた私に

別荘が標高1100くらいあると教えてくれました。地名には山の名前が付いているんですよ、それは私も前から知っていましたが。ちなみに私の住まいは800弱なのです。

かの有名な軽井沢は、駅が標高940だそうです。

私の中では軽井沢は素敵な避暑地、自分の住んでいる所は普通の場所だと思っていました。ネットで調べたら《高原都市》という表現。

そうか、私は高原のお嬢さんだったんだ(^.^)

高原という響きは割と素敵。実際は寒いだけなのに^_^


私の見た物件は、如何にも可愛い別荘で庭には富士桜が見えて周りの環境も良さそうな…

けれどそこは、崖の上に有って、冬には下の道路がアイスバーン状態、そして木のデッキは朽ちているので手を入れないとダメだと。

写真で見ただけだと分からないことばかり。

別荘とかリゾートマンションはどういうものか理解していたつもりでした。

冬の寒さが厳しい時は都会にいて、暑い夏だけ避暑に訪れる場所。 なのでそういう利用をする人には冬にアイスバーン状態になろうが何の問題も無いわけです。生活に余裕のある人達の持ち物。それも分かっていました。

私はちょっと食い下がって

「でも最近は定住している人も沢山居ますよね❓」その問いには

「そうです、沢山いますね。でもみんなご夫婦ですよ」

差別されたと思いきや

「防犯の意味でもね…」

か弱い❓女とおとなしいワンちゃんだけでは、管理所が有ったとしても心配だったのでしょう。

そして、マンションなどはペット可とうたっていても結構規律が厳しいとの事。

私が不安に思っている雪も、標高が高くなればなるほど積雪量も増えます。

車で数十分の所でも10センチ以上違ってくるのです。

「よく考えてみて、まず、市役所の無料相談に行ってみれば」

まるで人生相談の様な訪問になりました。

しかもその方は、店の外まで見送ってくれました。

何も実りも無かったわけではありません。

一歩前進したと思っています。

今までは机上の空論だったかもしれないけれど、人に会って話ができた事で自分の気持ちの方向も決まってきました。

やはり私はここを離れるつもりでいます。

母を見ていて特に感じました。

母は今も「家に帰りたい」と言います。

自分は、これからの自分に残された日々をここで暮らしたいか❓と問うたら、それは暮らしたくないのです。

仮に別荘に住んだとして、晩年は大変なのでは…とも思う。

でも今は、民家に隣接した別荘も有るんです。何故別荘にこだわるかと言えば、世捨て人までは行かなくとも、その土地の色々なしがらみに疲れたという感じでしょうか。

この場所で子育てをし、地域と密着して過ごした何十年の日々、人の優しさや冷たさも知った。残りの人生は夢ちゃんと過ごして、友達にはたまに訪ねてもらえる様な、そんな生活がしたい、そう思うようになりました。

決して焦る事はしません。

あの不動産屋さんには、市役所に相談しに行った後又連絡を入れるつもりでいます。

これまでの人生の中で、岐路に立たされた事が何度かありました。

その都度自分で決めてここまで歩いてきました。

今回の事はわがままな選択かもしれません。けれど、最後の選択となるかもしれないので、独りよがりな部分が有っても良いと思うようになりました。

子供達を無視する事は出来ません。 

年末年始の休暇で皆んなが集まった時に自分の気持ちを伝えるつもりです。

次男は横浜に旅した時に、ここを離れる事には賛成してくれていました。


最後までお付き合い頂きありがとうございます。来年は、どんな形にせよ道が拓ける、そう信じています。


年末で皆様も慌ただしい毎日を送られている事と思います。

急に寒くなったりしますので、くれぐれも風邪などひかれないよう気を付けてくださいね。