JunchanObachanのブログ

じゅんちゃんおばちゃんの夢日記

突然ですが、哀しく怖い話

私の実家は駅から歩いても2〜3分で結構立地条件の良い場所に有ります。

駅からは南向きの道路が有り、実家はそこに面しています。

随分昔、私が県外に住んでいた頃に、その道路沿いに個人の経営する商店が出来ました。

小さなスーパーという感じで、惣菜もそこで作って販売し、殆どの食品は置いてありました。帰省するとよくお使いに行ったものです。

その店舗に暗雲が立ち込めたのは数年後。

自分で配線をしたのか…ガスが不完全燃焼し小さなお子さんが亡くなりました。

その話を聞いた後に帰省した時にはもうその店舗は無くなって、新しい建物の一階が居酒屋、二階が美容院になっていました。

私は二階の美容師夫婦と仲良くなって、一緒に下の居酒屋に飲みに行ったりしました。

どちらも栄えていました。

しかし…

数年後にやるせない事件が起こるなどとは思ってもいない事でした。

居酒屋を経営していたのは20代のお兄さんで、とても親しみやすい人でした。

その人は、ある日友人と飲んだ後にひとりの女性を巡って口論となり

相手の男性の「轢けるものなら轢いてみろ」その売り言葉に、酔った勢いだったのでしょう…車のアクセルを思い切り踏んでしまったのです。

不幸にもその男性は亡くなって、居酒屋のお兄さんは警察から追われる身になってしまいました。

数日行方が分からなかった後に発見された時は、車の中で排ガスを…

亡くなる前に実家の墓参りをしていたそうです。

その悲しすぎる結末にやりきれない思いと、両親の気持ちを思ったら言葉も有りませんでした。

それからは一階はずっと空いたままで、上の美容院は頑張っていましたが、10年ほど前に閉店しました。

2つの不幸な事故のちょうど時期的に間くらいには、その場所の道を挟んで向かいに広大な空き地が有ったのですが

その所有者のおじいさんが草を自分で焼いていて煙に巻かれて亡くなっているのです。

こんな近い距離で、3人もの方が不幸な亡くなり方をしていると思うと、切なくなります。

私が今でも残念に思うのは

あの優しい笑顔をしていたお兄さんは、追い詰められていたとは思うけれど、冷静になって、諦めないで罪を償ってやり直して欲しかったです。それはとても勇気のいる事で、口で簡単に言える事では無いと分かっているけれど残念でなりません。


心の中に閉じ込めていた事を、今何故ここで話すのか、自分でも分かりません。

思い出したから、などという事では絶対に無くて、多分自分の中で命の大切さを感じているのではないかと思えてきます。

最近の自分は、ブログでも呟いてしまいましたが不安定です。

自分が《死》というものを身近に感じているのとは違いますが、少し投げやりになっていたかもしれません。

私はあの事故で、命を落とさずに済みました。

そう考えたら、今の状況は、あの時の一瞬の分かれ道で最善の方に行ってくれたのかもしれない。

良い療法士にも出会えた。

そして、今は治療は自分なりに選択する事も出来る。

当分は仕事と通院しかない生活だけれど、生きているからこそ体は良くなって行くんだ。


今日は救いの無いお話をしてしまいましたが、生きていれば未来は有るんだと、そんな言葉で締めくくりたいと思います。


追伸

今日は近所の忘年会で、夢ちゃんには鰻のお土産を(早く言えば食べ残し)あげました。

味付けして有るのでワンコはNGですが、夢ちゃんにも忘年会をお届けしました。