私は今まで生きてきた中で(岩崎恭子さんを真似てないですよ(笑))
ある言葉に2回出会ったなとふっと思いました。
それは「お守りがわり」という言葉。
20代の頃、2才の長男を連れて県外に旅立つ時、前日から横浜の自宅に一緒に同行し引っ越しの荷造りを手伝ってくれた両親。
横浜での最後の夜は両親と長男、4人で過ごしました。
引っ越しの車を見送った後に、父の運転で転居先に向かいます。
長男は大好きなじいじ、ばあばが居るのではしゃいでいます。
そして、転居先に着き荷物をある程度整理して別れる時に、父はそっと私に或る物を手渡しました。
それは、都市銀行の父のキャッシュカードでした。
「困った時はこれを使いなさい」
言葉少なに。
それからの生活は、若さゆえに耐えられたけれど大変だったと今でも思います。
朝5時半から6時の間に起きて長男を託児所に。午前中の仕事が終わるのが11時半から12時、そして勤務先で昼食をとった後に昼休みです。
私は(今はそんな時間が有ったら迷わずに昼寝しますが)長男との時間を大切にしたくて海に散歩に行ったりデイリーにお菓子を買いに行ったりしていました。
15時頃にはまた出勤。
ホテル業務なのでお客様次第で帰宅時間は変わってきます。
遅い日は22時頃になる事も有りました。
私がその仕事を選んだ事を、父は誰よりも分かっていたと思います。
寮に住んで、託児所も有り、食事も出来る。アパートを借りたとしたら無理だったでしょう。
でも、キツイ仕事だという事も知っていたと思います。
入社後は2週間休みが有りませんでした。
そんな中、深夜私は父に手紙を書きました。
どうせ心配しているのだから、日々の仕事を詳しく書きました。
こんな風だけど、長男が居るので頑張れる、そんな言葉で結んだと思います。
その手紙ですが、父の遺品の中から出てきて今は私の手元に有ります。
父はたとえ離れた場所からでも、波乱万丈な人生を送る娘をずっと見守ってくれていた。
別れの時に父から預かったキャッシュカードは一度も使う事はありませんでした。
それを手にした事で、逆に「使わないように頑張ろう」と思えたのだ。
いくら有ったのかも分かりません。
まさしくそれは私のお守りがわり
いえ、お守りそのものだったと思います。
もう1つのお守りがわりは
「ニトロ」です。
13年の冬に初めて胸の痛みに襲われて、総合病院を受診して、検査の副作用とか色々有りました。
まだ胸の痛みの原因も分からない時に、夜中又発作に襲われて救急で受診した時の医師が循環器の医師でした。
その医師が
「今度痛くなった時の為にお守りがわりに持っていて下さい」
と処方してくれたのがニトロでした。
紆余曲折を経て、出会った今の主治医(開業医)
その医師も処方する時にお守りがわりという言葉を使います。
昨年の5月過ぎに一度発作らしきものが有ってから、今日まで一度も使用する事なく来ています。
出来れば「先生、使用期限が来たので新しいものを下さい」そんな風に言ってみたいと思う私です。
昼下がり、雨も止んで日がさして来ました。
静かな休日、想い出を辿ってみました。