長男がまだ幼い頃です。
家庭がうまくいかずに数ヶ月実家の世話になった私は、長男と2人県外に旅立ちました。
やはり若かったと思います。
若さゆえ、無理も出来たし思い切ることも出来た。
私の父が旅立ちを認めた理由は、勤務を決めた所が託児所も有って長時間働いても預かってもらえる、だからギリギリ許したのでしょう。
自分を慕う孫を手放したくはなかったろうに…
そこでの生活は1年にも満たなかったけれど、私は一冊の本も書けるくらいさまざまな体験をしたのです。
その人は私よりも15歳近く年上の男性です。勿論妻帯者です。
入社の時から世話をしてくれて(人事に関する役職だった為)
相談にものってくれくれました。
誰も知る人の居ない土地でいつしか私はその人に、憧れにも似たような感情を持つようになったと思います。
長男の事も常に心配してくれました。
その人は草花を育てるのが好きで、或る時私にこう言いました。
「丹精込めて育てた花が花開いた時に◯◯さんがこの花を見たら、わぁきれい‼️そう言うだろうと思って眺めている」
世間知らずな私でもちょっと心にとまって、不倫などとは程遠い所に居るにも関わらず後ろめたい気持ちになったのです
昨年ですが、様々な不倫のニュースが世間を騒がせました。
不倫は勿論いけないです。 けれど、何故あれ程バッシングを受けたのか❓
私自身の答えはこれです。
その方々は、自分達が何のリスクを背負う事なく、良い人のまま幸せになろうとしたからなのではないかと。
好きになってしまう感情には歯止めが効かない事もある、けれど、それを貫こうとするならばリスク無しにはあり得ない、私はそう思います。
自分が愛を貫く事で、何人かの人を不幸にしてしてしまう。
世間から批判も浴びるだろう、人も傷付けた、それらを背負って一緒になる覚悟が有ったのか。
その方が私を連れ出してくれた時に、場所は全く覚えてはいないけれど《宿り木》の存在を教えてくれました。
冬だったと思います。
その時は何気なく
「そうなんだ〜」
くらいにしか受け止めてはいなかったけれど今日、母に食事を届けた帰りに宿り木に出会いました。
帰宅後に調べたら
花言葉もあって
困難に打ち克つ
克服
忍耐
だそうです。
その時の私を彷彿させるような花言葉…
その人が花言葉を知った上で私に伝えたかったのかはもう定かでは有りませんが
私は何故か宿り木が好きになりました。
宿り木は、他の樹木の枝や幹に寄生して成長する、けれど寄生した植物を枯らさずに共存し自ら光合成も行なって養分を作り出す事も出来る。
だから花言葉はとても前向きなんだ。
困難な状況でも自分なりに身を結ぶ
私の今までの道のりは、順番満帆とは程遠い。だけど、だからこそ、それに打ち克つ気持ち、持って居たいと思える日でもありました。