先日です。
読者にならせていただいているマミーさんの11月3日のブログ
《育児には「時代の不安」ってものがあると思う》
とあり、ADHDにも触れておられました。
私は直ぐにコメントしたかったのですが、次男の事に触れると余りにも長文になってしまう為に、今、ここで記す事にしました。
次男は、幼稚園に入園してから、小学校6年間、場面緘黙で一回も言葉を発する事が有りませんでした。
私としても、こんなに長きにわたり人と会話を持たないなどあり得ないと思って、当初は今から思えば甘く考えていたと思います。
次男は2月下旬生まれなので、幼稚園に入園した時は3歳になったばかりでした。
私としては仕事もしていなかったので、2年保育でいいと思っていた所、近所に住む1つ下の幼馴染が同じ年の男の子がいる為、同じ園に入園しようと誘ってきたのです。
今思えば、私のその判断が次男に取っては最悪の出会いになってしまったのです。
次男が生まれた時、私は仕事を持っていたので、そしてスープの冷めない距離に実家が有ったのでその年のGW明けには母に世話を頼んで仕事に復帰しました。
三男の妊娠が分かった時に仕事を辞めたので、日中親に預けたのは1年くらいです。
それ以降はずっと一緒に居ました。両親は孫を可愛がってくれて、いろんな所に連れて行ってくれました。
そして、当時は旦那さんも居たので、夏休みは海水浴、バーベキュー、旦那さんの仲間と温泉とか、イベントは沢山あったと思います。
そんな中で次男は、誰ともよく話していました。
私の姉に至っては「○○の口調は大人みたいだ、よくそんな事を知っている」とよく言いました。
何処かに行けば、そこの感想とか話すし、車が好きで私が車の広告を切り抜いてスケッチブックに貼ると車種を全部覚えました。
長男の影響か、文字を覚えるのも早く、受け答えもちゃんしていました。
幼稚園の入園式の後に教室に行った時、次男は椅子に座っている事が出来ませんでした。
それは、自閉症の症状の1つである多動とも違い、緊張のあまりそうなったのだと思います。
そして入園後の家庭訪問の時に先生は言いました。
「まだ○○ちゃんの声を一度も聞いていないです」
私は驚きましたが、家では何も変わりなくしていたので
「喋ったら教えてください」
などと答えていました。
次男のそれからの幼稚園の日々がどんなに辛いものになるかも知らずに…
当時私は免許は有っても車を運転していなかったので歩いて園に送っていました。
そのコースに、因縁の相手となる幼馴染の家が有るので一緒に通う事となりました。
ある帰り道、幼馴染の子は次男に押し倒そうとしました。
子供を叱らない幼馴染は黙って見ているだけ。
私は「そういう事をしちゃダメだよ」
軽く注意したら、その子は下を向いてしまいました。その後母親はその子をずっと家までおんぶして、その日は土曜日だったのですが夜私に電話があり
「○が救急車で運ばれた」と言うのです。
それが月曜日なら、そういう事で園を休むよという連絡だったと思えます。しかし土曜日にわざわざそう言った電話をよこすというのは
「あなたが叱ったせいで具合が悪くなった」と言っているようでした。
その子の事は次男は大嫌いでしたが、私は親同士の付き合いも有ったりして、しかも役員を一緒にやっていたので関わる機会は多かったと思います。
園でも虐められていたようです。
しかし、次男は何も話しませんでした。
ある日私は言いました。
「辛かったら休もう、行かなくてもいいよ」
その言葉に次男は
「行くからいい」と一言…
〜するからいいと言うのは当時の次男の口癖で、大人が何かやろうとすると「○○がやるからいい、やるからいい」とよく言いました。
とても可愛らしい光景でした。
でも、明らかに針のむしろでしかない場所に、行くからいいと言った次男の芯の強さを、3歳なったばかりの小さな体を抱きしめながら心で泣いていました。
「ゴメンね、ゴメンね」
私が自分を責める原因は沢山有ります。
故郷に戻ったとはいえ、仕事を持っていたので、次男が小さい頃ママ友みたいな存在が有りませんでした。
親と兄弟が近くにいて、その環境で満足してしまい、子供と為に公園デビュー(まあ、当時はそんな言葉も有りませんでしたが)する事もなく。
場面緘黙の原因は、入園時にも起こるとありました。まさに次男はそうだったのです。
小学校に入学する前に、私は児童相談所の門を叩きました。
そこで、通う予定の小学校ではなくて、別の小学校の[ことばの教室]を紹介していただき、小学校の6年間を通う事となりました。
週に一度、放課後に通うのです。
先生と山に登ったり、室内でゲームをしたり。
私としては、違う環境に行くのは良い事だと思ったのです。
そこでも、残念ながら言葉を発する事は無かったけれど、先生との1対1の触れ合いは次男にとっては違う自分を出せたのだと思います。
低学年の時に、次男は《19》と出会い、そして素晴らしい担任と出会ったのです。
19の詩は次男を勇気付けました。
そして、次男は中学生となり、その頃我が家は大黒柱が私になりました。
友達も出来て、友達とは会話をしていました。
そして、その時期の次男の同級生は一番荒れている年回りで、少年院に入ってしまった子も居ました。
次男の服装は、ダボダボのズボンを腰の下で履いて、乱れ始めました。
次男が或る日ポツリと
「人からは悪く見られるとは分かっている、でも、自分の意思でこの服装をすると違う自分になれた気がする」
その言葉を、私はそのまま受け止めました。
ギリギリの許せる範囲で服装にもダメだしはしませんでした。
同じ様な服装の仲間が
「お前の母ちゃんはよく許すな」
と言ったそうです。
周りの人には、甘い母と映ったかもしれません。
けれど、その人達が私達親子の何を知っているのか❓
そう思ったらいい意味で開き直れたのです。
でも、他人に迷惑をかけるとなると話は違ってきます。
次男は、人を虐めたり、人の嫌がる事はしませんでした。
3歳の頃からの苦しみを覚えているからでしょう…
そして、次男をいじめ続けた子は、中学でイジメにあって不登校になりました。
痛みを知らない人は、痛みに耐えられないのだと思いました。
次男は高校は2つ離れた市の高校に通いました。
その頃であった同級生に、
ことばの教室に通っていたと話したら
「あそこは障害者が通うところだ」
と言われて…
その子は世間一般の見たままの言葉で安易に言ったのでしょう。
その事が有ってから、次男は自分は障害者ではないのか❓と考え始めた様です。
私も次男と歩いて来た過程で
自閉症というのはよぎりました。
しかし、次男は、多動でもなく、学力も普通、1つの事に集中しすぎる感じでもなく、人とのコミュニケーションも普通にとります。
ただ、一定の人以外とは喋らなかった。
喋らなければコミュニケーション取れないだろうと言われればそれまでですが…
次男は自分なりに一生懸命道を探してきたのだと思います。
わざわざ遠くの高校に行ったのは、自分を知る人がいない所で新たな生活を始めたい、そう思ったのでしょう。
実際に、次男には2度と会いたくないヤツ(本人談)居ます。
虐めても、喋らないから誰にも言いつけない、そう思ったのでしょう。
そしてある日、一緒に○○市の児童相談所に付き合ってほしいと言われました。
同級生のその言葉から
自分はアスペルガー症候群ではないのかと思ったのです。
医師とそれぞれ話をして、次男は凄い数の質問の用紙を渡されました。
その結果、はっきりした診断はされませんでしたが
多分アスペルガー症候群に近いのではないかと…
もう何年にも前になりますが、テレビで年配の母親と40歳くらいの息子さんがインタビューに答えていました。
その息子さんは高機能自閉症と診断されたのですが、それはつい最近の事で。
大学を卒業し就職してから人間関係も、仕事も上手くいかなくて、精神科を受診したら鬱と診断され、薬も処方されたけれど改善されなかったと。
母親の言葉が辛かったです。
「もっと早く自分が気付いたら、方法が有った筈だ、悔やまれる」
私も同じ思いです。
我が子に対して、もっと出来なかったのか❓
今と違ってネット調べる事もできません。
でも、努力はしたとは思います。
スクースカウンセラーも申し込みましたが、カウンセラーも人間です。
当時私は夫婦関係が破綻寸前で、そんな事も会話の中に入ったりすると、その先生は独身の女性だったのですが、相談している私に高圧的な態度を取り、何回か通いましたが、向こうから
「もういいですね💢」
みたいな感じで終わりとなりました。
そんな風に、相談の窓口というのはある様でとても狭いのだと実感しました。
マミーさんのおっしゃる様に、生きやすい時代になればと願うばかりです。
校内暴力、次男の時にも有りました。
2つ下の三男の世代は、そこまでは荒れていなかったのですが、むしろ怖いと思うのが、平気で担任を無視するのです。
例えば、授業中黙って出て行ってしまうとか…
三男の若い担任は精神を病んでしまいました。
皆掃除もしません。三男がほうきで掃いていると、担任も一緒に掃いて
「ありがとう」
と言ったそうです。
それから暫くして担任は長期休養となって、三男の1つ下の担任で復帰してからは生き生きしていたそうです。
先生も生身の人間です。
みんなが生きやすい時代になって欲しいと思います。
そして、私がいつもいつも心に思う次男。
この写真は、あんなに辛い記憶しかない幼稚園に行く前、着替えの時だと思います。
偉かったね。
お前はいつも、優しい微笑みをたたえています。
長男と三男の様に大爆笑した顔を見た事が有りません。
でも、それがお前の優しさなんだと思います。
お母さんはお前の、はにかんだ様な微笑みが大好きです。
今は離れているけれど、その微笑みを大切に、大切にして下さい。お前には良いところが沢山有ります。
のんちゃんやムクを一番可愛がってくれました。
お母さんの誕生日に、好きな色を覚えてくれていてピンクのマフラーをプレゼントしてくれたよね。
ありがとう。
いつか、いつの日か帰ってくる日を待っています。