若干二十歳の時です。どうしても入社したい企業が有って、横浜まで単身、踏み出した私。
私の出身地(今は定住してますが)関東からは外される感じ…今は首都圏と認められている様ですが、関東甲信越と表現されていますね。
私の愛すべき故郷です💛
そんな私が第2の故郷と愛するのは横浜です。
本当に素晴らしい。私にとっては永遠の場所です。
二十歳のあの日、私は関内の駅に降り立ち、中途採用の申請をしました。試験は9月。筆記試験と面接が有りました。数週間後に届いた合格通知、私の花開いた瞬間だったのかもしれません。そのあと高熱を出しましたが。
会社の寮は金沢区の高台に有りました。同室の子はとても美人で、最初はうまくやって行けるか不安も有ったけれど、会社の新入社員の研修で一気に距離が縮まって、かけがえのない親友になりました。
その子との思い出は数知れません。
土曜日の午後、お互いの勤務が終わったあとの待ち合わせ。
「関内の北口ね。」
今だったら携帯が有ります。勘違いにも直ぐに対応出来るはず。30分以上経った頃、私は、もしや北口とは国鉄の京浜東北線の北口では❓
私は市営地下鉄の北口で待っていました。直ぐに直行。友達は居ました⤴️
お互いに責めるでもなく、よかったぁ。あの時の彼女の笑顔は今でも覚えています。
私が、家庭の事情もあって横浜を去る時に、横浜駅まで彼女は子供を連れて見送りに来てくれました。
彼女はその時は2人目を流産した後で、心身ともに辛い時だった。けれど私の為に来てくれたのです。
あの時の別れ以来会えて居ません。
私にやり残した事が有るとすれば、彼女に会う事、そして、横浜時代に可愛がってくれた先輩達、その方々に会いたい。
自分が1番輝いていたであろう日々を過ごした横浜。家庭が何事もなければ今も暮らしていただろう場所。
トキメキの初恋の初めてのデートは元町、そして山下公園。同じ寮の親友と待ち合わせの関内駅で初めて会った伝説の《港のメリーさん》
元町のチャーミングセール、そしてMIHAMAの靴、FUKUZO、キタムラ
戻りたいと聞かれれば、第一にあの頃と言ってしまうかもしれません。
でも、人生なんて、戻る事も、そこからやり直す事も出来ません。それに、もし万が一ドラえもんが居てタイムカプセル貸してくれたとしても、私はきっと同じ選択をするのかもしれない。
今は、過去の自分が選択した結果なのだ。
私のささやかな目標…
横浜に行くぞ、そして会いたい人に会うんだ。