JunchanObachanのブログ

じゅんちゃんおばちゃんの夢日記

私の二男

f:id:JunchanObachan:20150714112840j:plain二男が産まれたのは、寒さが一番厳しい頃でした。

産まれたての赤ちゃんとは思えない、もう顔立ちのしっかりした色白の綺麗な子でした。

皆に祝福され、小学生の長男はランドセルのまま毎日病院まで会いに来ました。

今思えば、二男の性格はもうその時に決まっていたようにも思います。

手のかからない赤ちゃんでした。

物静かで思慮深く、そんな子だったので、私は多分、随分幼い頃から自分と同じレベルで接していたと思います。

小学校までのエピソードは数え切れません。靴が無くて靴下のまま自宅まで帰った事も有ります。私はその時に、すれ違った人達がさぞビックリしただろうと笑ってしまいました。連絡ノートでも、担任の先生は同じ感想を述べていました。

私はいつでも、二男の行動をネガティヴには考えずにいました。

人と違う事をしても、他人に迷惑、法に反する事、そういった事が無ければ極力理解しようと思っていました。そんな思いは通じていたのかな❓高校を卒業し、就職した会社を黙ってやめてしまい…

数年後には県外に行ってしまいました。いつまでも子供が親の側には居ないとわかっています。

けれど、去り方があまりにも自分勝手と思いました。

もう1年以上顔を見ていません。

二男はもしかして、正論で話すのが疎ましかったのかもしれません。

同じ目線で接すると言ってたくせに、会社を辞めた時点で正論で責めました。一定の収入が無くなると、アパートで暮らしていたら次の月の家賃も払えなくなるよ❗️

そんな風にです。心配だからこそ言っていましたが…

事実車のローン、保険、携帯代、私が払っていたのです。

車を購入した所の方が、保険も私が払っているのを知って、いい加減自分で払わさせろ(そんな強い口調ではないですが)と言いました。世間では甘やかした母親と映っているでしょう。いえ、2人の兄弟も思っていると思います。

私は、今になって思うのです。

二男は、体験して納得するタイプの子であると。いくら自分の経験を話しても、自分の体で、失敗にしても、体験しないとダメなのです。

私は分からせたくて、帰ってこない二男を迎えに行った時に(まだ地元にいた頃)車の中で色んな体験談とか話した時に、前を向いたままシラっとした顔をしていた二男の頬を、運転しながらひっぱたきました。二男は顔色ひとつ変えなかった。

今は、知らない土地で友達も出来たようです(行ったのは親友と2人でした)

私は、よく二男の夢を見ます。

雪の中倒れていてそこに雪が降り積もる…💦とか。

心配だからこそそんな夢を見るのでしょう。


いつも、いつも、お母さんお前の事を思っているよ。

成功しなきゃ帰れないと思っているでしょう❓

故郷はそんなものじゃないよ。

お前の思い出と共に、いつでも入ってこれる玄関があるよ。

帰っておいで。