二男が産まれたのは、寒さが一番厳しい頃でした。
産まれたての赤ちゃんとは思えない、もう顔立ちのしっかりした色白の綺麗な子でした。
皆に祝福され、小学生の長男はランドセルのまま毎日病院まで会いに来ました。
今思えば、二男の性格はもうその時に決まっていたようにも思います。
手のかからない赤ちゃんでした。
物静かで思慮深く、そんな子だったので、私は多分、随分幼い頃から自分と同じレベルで接していたと思います。
小学校までのエピソードは数え切れません。靴が無くて靴下のまま自宅まで帰った事も有ります。私はその時に、すれ違った人達がさぞビックリしただろうと笑ってしまいました。連絡ノートでも、担任の先生は同じ感想を述べていました。
私はいつでも、二男の行動をネガティヴには考えずにいました。
人と違う事をしても、他人に迷惑、法に反する事、そういった事が無ければ極力理解しようと思っていました。そんな思いは通じていたのかな❓高校を卒業し、就職した会社を黙ってやめてしまい…
数年後には県外に行ってしまいました。いつまでも子供が親の側には居ないとわかっています。
けれど、去り方があまりにも自分勝手と思いました。
もう1年以上顔を見ていません。
二男はもしかして、正論で話すのが疎ましかったのかもしれません。
同じ目線で接すると言ってたくせに、会社を辞めた時点で正論で責めました。一定の収入が無くなると、アパートで暮らしていたら次の月の家賃も払えなくなるよ❗️
そんな風にです。心配だからこそ言っていましたが…
事実車のローン、保険、携帯代、私が払っていたのです。
車を購入した所の方が、保険も私が払っているのを知って、いい加減自分で払わさせろ(そんな強い口調ではないですが)と言いました。世間では甘やかした母親と映っているでしょう。いえ、2人の兄弟も思っていると思います。
私は、今になって思うのです。
二男は、体験して納得するタイプの子であると。いくら自分の経験を話しても、自分の体で、失敗にしても、体験しないとダメなのです。
私は分からせたくて、帰ってこない二男を迎えに行った時に(まだ地元にいた頃)車の中で色んな体験談とか話した時に、前を向いたままシラっとした顔をしていた二男の頬を、運転しながらひっぱたきました。二男は顔色ひとつ変えなかった。
今は、知らない土地で友達も出来たようです(行ったのは親友と2人でした)
私は、よく二男の夢を見ます。
雪の中倒れていてそこに雪が降り積もる…💦とか。
心配だからこそそんな夢を見るのでしょう。
いつも、いつも、お母さんお前の事を思っているよ。
成功しなきゃ帰れないと思っているでしょう❓
故郷はそんなものじゃないよ。
お前の思い出と共に、いつでも入ってこれる玄関があるよ。
帰っておいで。