のんが体調が良くなかった時の事です。長時間留守に出来ないので、会社の昼休みにも帰宅していました。
人間で言うこめかみの辺りがジュクジュクして、帰宅し消毒し包帯も取り替えあとはオシッコさせて又会社へ。そういった事が楽しく出来るように、車の中では好きな曲を聴きました。片道、大体3曲は聴けたでしょうか…iPhoneのプレイリストで、いつも同じ曲を聴いていました。男性アイドルグループの曲です。
介護の甲斐なくのんは11月に亡くなり、後を追うように2ヶ月後にムクが亡くなりました。
ムクは、とても元気な男の子でした。病気ひとつした事が無くて…
それが仇となったのか…病院嫌いで、いつも大泣きでした。
最後の日…
前にも話しましたが、帰宅途中に「もうムクはこの世に居ない」と、理由は分かりません、そう思ったのです。その時、最寄駅の前を走る車の中では、いつも聴いている曲の、特長の有る間奏でした。
帰宅しムクの亡骸にすがっていつまでもいつまでも泣いて…
悲しみは消えないけれど日常は非常にも続くのです。
もうあの曲は選曲しませんでした。
所が…曲がシャッフルされていたので、選曲しなくとも流れます。
あの、ムクの死を確信してしまった駅に差し掛かると丁度あの曲の間奏になる事が数回重なりました。
初めて流れた時は、帰宅して、帰省中だった三男に泣きながら話しました。感情ばかりが走ってしまい上手く伝わらなかった筈なのに、三男は「うん、うん」と聞いてくれました。現実的な長男は、その後「だったらプレイリスト変えればいいでしょ」
確かにそうです。だけど…出来なかった。
でも、自分としてはムクとのんへの思いなんだと信じたい。
お盆の入りの日でした。
私の予感通りに、あの駅の前に差し掛かると、丁度あの間奏になったのです。
2人の新盆だものな。
怖いとは思いません。
今は、泣かずに思い出す事が出来る様になりました。泣かないのは確率50%ですが.…
思い出す事は沢山有ります。知らなかった事も沢山有ると気付きました。
いつもムクは、私には抱っこされなかった。よく三男の膝にいました。
ある日三男が、知らなかったの❓という感じで話した言葉で号泣です。
ムクがね、お母さんの膝に行かなかったのは、他の人の膝の上からお母さんを見つめる為なんだよ。
ムク、ムク、愛してくれてありがとう、本当にありがとう。