JunchanObachanのブログ

じゅんちゃんおばちゃんの夢日記

母とおりがみ

今日はお休みです。

いつもよりも遅く起きて、夢ちゃんとの散歩は長めにしました。

そのあと、近くのコインランドリーに向かいました。

実は私は、コインランドリーにひとりで行くのは初めてなのです。

寒い地域であるにもかかわらず、なぜ私が未だかつてこたつをしないかというと…

こたつ布団が洗濯できていないからでした。

そんなの良いじゃんと思えば良いのですが、やはりしまい込んだままのでは嫌だなという思いが強く。

今日デビューとなりました。

つい先日は、セルフスタンドで灯油も入れて来ました。灯油に関しては18ℓのタンク2つだったので、それを車に積む事は出来ません。なので、そこの従業員の方にお願いしました。

給油する前に「車に乗せて頂くことは出来ますか❓」と聞いておいたので、モニターで見ていたんでしょう、終わる頃に来てくれました。

ひとりで出来ることが増えてきた私です。

そして、人の助けが有り難く感じる事も多くなりました。


コインランドリーでの洗濯時間は31分でした。何か用足しをするにも中途半端な時間なので、車の中で待つ事にしました。

乾燥も済ませ、母の病院に向かう頃には昼を過ぎてしまいました。

お休みの日は昼食の世話をしたかったけれど、仕方ないです。

母は呼吸を助けるマスクをしていて、私が行くと直ぐに気付いて、ひとこと

「おりがみを取って欲しい」

ふと見ると枕元には朝顔のような形をしたおりがみが置いてありました。

母が折ったのでしょう。

引き出しを開けると、色とりどりの折り紙とハサミがビニールの袋に入っていました。

弟が持ってきてくれたのだと思います。

優しい子(もうおじさんですが私のイメージではこんな感じ)だなぁ、改めて思う。

「小さく切って欲しい」

母の言葉で、4分の1のサイズに切って渡しました。

母の指には常に脈拍を測るような装置が付けてあるので思うように指が動かせません。

数分もしないうちに、手が動かないからいいと言ってやめました。f:id:JunchanObachan:20181112145502j:plain折り鶴は私が折ったものです。

手前のが母で、何を折ろうとしたのかな…

病室からは富士山がよく見えます。

けれど窓際のベッドではないのと、患者さんもいたので撮るのはやめました。

また来るね、と言って別れました。

握った母の手は、私と同じくらいの暖かさで温もりが伝わってきました。

「頑張ろうね」

母ひとりに頑張ってと言うのはかわいそうです。私も頑張るからね、心で呟きました。


帰宅後は、母と約束したので、早速不動産屋に電話をしました。

急に話が飛びますか❓

頑張る、つながりです。

ここ数日検索して、今の住まいから30分くらいの所で良さそうな物件が有ったので直接問い合わせたんです。

な、なんと、事故物件でした。

リフォームもしてあって、同じマンションの別の部屋よりも良さそうな物件でした。

ずいぶん前ですが新聞で見た記憶が蘇り…

でも現在はそれを知った上で住人がいてリフォームもしたとの事でした。

ワンクッション置いたら告知の義務は無いと聞いた事が有るけれど、あえて教えてくれた所に、その不動産屋さんに対する信頼感が生まれました。

自分の今の状況を話して、住まいの方が片付いたら又連絡しますと言って電話を切りました。

色々な事を始めるのにはパワーが必要です。毎日の生活で疲れたりもすれけれど、自分で出来る事が増えた事が嬉しくも思い、細くなった母の指を思い出し、自分はまだまだ頑張れる、そんな気持ちで締めくくりたいと思います。f:id:JunchanObachan:20181112150750j:plainこれは2日前の富士山です。

数日間にわたり暖かかったので、下界に近い方の雪は大分溶けたようです。

冬に向かいながら、こんな風に姿を変えながら富士山の雪は増え続けます。

次に住むところは窓から富士山が見えたらいいな、そんな風に思いました。

今日電話した不動産さんはリゾート物件専門で、私が自分の住所を言ったら「まちなかですね」と言われました。

都会の方からすれは郊外的な感じでも、リゾートの地方からはそんな風に言われるのだな。

たしかに、小学校、病院、コンビニ、スーパー、近くにあるので、わざわざリゾート地に行かなくてもと思ったかもしれません。

しかもこれからは年齢をどんどん重ねていきます。

運転が出来なくなる日も来るだろう。

まだ時間は有ります。ゆっくり考えていきたいと思っています。

冬の足音が聞こえ始めたこのごろ。

皆様もくれぐれもお体気をつけて下さいね。


不思議に思うこと

日々仕事をしていて、ちょっと嫌だな、と思う事は誰しも有ると思います。

それはどんな職種であれ存在するでしょう。

この季節になると、サービス業に従事する身としては、菌の感染が一番怖いです。

信じられないですが、面と向かってくしゃみや咳をする人が居ます。

自分の身は自分で守る、この時期はインフルエンザ感染防止のためにマスクをさせて頂くように張り紙をする事が有ります。今年はまだしてないですが。

でも、本当に嫌だと思う事は他にも沢山ありますが、今日はマイバックに関してお話ししますね。

我が県はもう随分前から環境問題を重視してマイバックを推進しています。

バックを持参されると、レジの人が直接そのバックに入れるのです。

今はお客様に浸透して、地元の方は殆どマイバックを持参して下さいます。 

そんな中で生まれた困った事は、マイバックの汚れです。

色々な食品を入れるので、汁がこぼれたりして汚れる事も多いかと思います。

そんな時は洗濯をすると思うのですが…

私が初めて目にしてから、一度も洗っていないだろうという人のトップ3はケタ違いの凄さです。みんな女性です。

ふたりは、黒カビが袋全体に繁殖しています。臭いも凄いです。

トップ3の中のトップは、何かがこぼれたりしたのをそのままにしているので、袋が5倍くらいの重さになって汚れで生地が厚く硬くなっています。もちろんカビで真っ黒です。

個人的な感情を持ち出してはいけないのですが、さぁ一日頑張ろうと思っている朝イチにその方のどなたかが来たら、ちょっとテンション下がってしまいます。

あと臭いも凄いので、昼食の前もキツイです。

何故だろう、食品を入れる袋なのに…

疑問に思っても決して口には出せません。 

何故だろう、答えは出ません。

自分だったら汚れた袋を出すのも恥ずかしい。いえ、汚れたら洗うし。

皆さんに共通しているのは、全然気にしていないんです。しかも二人の人は服装は小綺麗な感じなんです。

これは私が不思議に思っても、その人達にとっては普通のことなんだろうな。

でも、正直な気持ちは、この袋に食品を入れて大丈夫なんだろうか。

いつも自問自答しています。


今日は雨の1日でした。

朝はカッパを着て散歩。f:id:JunchanObachan:20181106214527j:plain

今年の秋は紅葉をあまり見ることが出来ませんでしたが、雨のお散歩でコースを変えたらこんな場所が有りました。

沢山の落ち葉の中で、雨に濡れても夢ちゃんは楽しそう。

そんな夢ちゃんの見ると、私も雨の散歩が好きになります。

今日はお休みだったので、散歩の後は冬に備えてヒートテックのインナーを買いに行ったり、そのあと母のお見舞いに行きました。

母の事は又後日報告させていただきます。

一般病棟に移っていました。

明日も間に合ったら仕事の後に面会に行く予定です。

色々ご心配をいただき本当にありがとうございました。

明日からも、前向きな気持ちを持って行きたいと思っています。



私は幼い頃、母が好きではありませんでした。父親が事業に失敗し(それはずっと大人になってから知るのですが)狭い家に引っ越して、両親は必死で働いていたので、幼い私と弟の面倒は祖母がみていたのです。

幼稚園の遠足なども祖母が一緒に行くのが当たり前でした。

なので私にとっては祖母が母親という感じでした。祖母はとても優しくて穏やかな人だったので尚更だったのでしょう。

父は兄弟が多く、長男の上に父親が早く亡くなったので、年の離れた兄弟にとっては父親のような存在だったと思います。

そんな父と結婚した母は、何かと苦労が多かったのだと、今の私だったら理解出来ます。

でも、当時の幼い私は、自分達に対して優しい言葉をかけるでもないそんな母は苦手だったのです。

母はきっと余裕が無かったのだと思います…

手先が器用なので、仕事以外にも家にいる時には、着物とか綿入れを仕立てていました。

幼い私と弟は、面白半分に手伝ったりしました。

綿入れを作る時には綿の上に真綿を載せていました。針仕事をしていた母の姿は今も覚えています。

或る日私は、知らないうちに泣いていました。多分寝てしまって、気付いたら泣いていた感じでした。

私は祖母を呼んでいました。

祖母はそばに居たのに、仕事中の母を呼びに行って、戻ってきた母に叱られた記憶があります。

その頃の母は疲れていて、そして不器用だったのでしょう。

そして、突然時代が飛びますが高校生の時。

部活で平行棒から落ちて右肘があり得ない方に曲がってしまい骨折。

ギブスで帰宅して、2階の部屋に寝かされて、その夜のこと。

金縛りにあって必死に振りほどいて目を開けたら、私の目の前には顔が見えました。

笑っています。

頭を東側にして寝ていたのですが、そちらの窓の方から何百という丸くて白い物が西に向かって流れていくんです。

その時私の瞳は完全に開いていました。

我に返り助けを呼びました。大きな大きな声で。

姉が来たけれど異様な空気を感じて中に入って来れません。 

母がやってきて、なんと言ったか…

多分しっかりしろ!!みたいな言葉だったと思いますが、私の頬を叩いたと思います。

あとで姉が

「あんな風にしか出来ないんだ」

と母を非難したと思います。


中学3年生の夏休み。

それは私にとってとても思い出深い時でもありました。

家を新築するので、兄弟と祖母は実家から徒歩30分くらいのアパートで生活していました。優しい祖母と一緒の日々は楽しかったです。両親は新築している近くにプレハブみたいなのを建てて2人でいました。

ある夜に、母が訪ねてきました。

私はうたた寝をしていました。

その時に、ある感触を感じました。

おくれ毛を私の耳の後ろに持っていくのです。

何度も何度も優しく撫でるように。

薄眼を開けると、正座した母の足が見えました。

私は、ずっと寝たふりをしました。

その時の私の髪は腰のあたりまでありました。母が絶対に切らせなかったのです。姉の髪は短いのに、何故か私だけ切らせなかった。物心ついた時にはもう髪が長かった感じです。

私の小中学時代は、三つ編みの女の子、同級生はそう感じていると思います。

高校になって、体操の時に邪魔になるという理由でバッサリ切ってしまった時、母はずいぶん寂しそうでした。


先週、深夜に介護施設から電話がありました。母が苦しいと言っていると。

肺に空気を送る機械を使っても改善せず、ミオコールというスプレーもダメで、結局救急車で運ばれました。

以前から心房細動と診断されています。

それ以降、私は主治医と話すタイミングが無かったのですが、弟は

「会いたい人には会わせておくように」と言われました。


今ひとりで頑張っている母。

色々な事を思い出した夜でした。

今ならわかる、母がとても私のことを可愛いと思ってくれていた事(顔がではありません)祖母が大好きな事にヤキモチを焼いたのだと、そして、私達子供に対して意地悪だったのではなくて、ずっとずっと私達の為に頑張ってきたのだと。


明日は長男とふたりで面会に行って来ます。 こうしている今も、そして車で向かうときも、考えてしまうと涙が出てしまうのですが、母の前では笑顔になれます。

「夢ちゃんは元気か」

そんな風に聞いてくる母。f:id:JunchanObachan:20181101215613j:plain今日は久しぶりに秋の空でした。f:id:JunchanObachan:20181101215701j:plain富士山も凛々しい姿です。

明日母に見せようと思います。

病室からは富士山が見えないから。f:id:JunchanObachan:20181101215826j:plain夢ちゃんも元気です。

本当は連れて行きたいけど、病院にはワンコは入れないから残念。

寒さもこれからは駆け足でやってくるでしょう。

私は、母が又自宅に帰って、私の作ったものを食べてくれると信じています。

落ち着くまで、皆様への訪問もしにくいかもしれませんがお許しください。


言葉の持つ力を考えてみた

最近私は、人の言葉に対して感じる事が多かったのです。

それで、今日は私なりに語らせていただきたいのですが、何分にも天然なので「うう〜ん」と思ってしまったなら申し訳ありません。自分の素のままで失礼します。

つい先日、私は薬を切らしてしまったとお伝えしましたが、なるべく早めに欲しくても、毎日遅い勤務の為に仕事の後の通院は絶望的でした。

なので上司に相談した所、やはり無理な感じでした。次の休みでは遅くなるので、休憩時間をずらしてもらって病院に行けないか打診したのですが…

その事を1人の若い女の子に話したら(薬を切らしちゃったと)その子は持ち前のキャラで、私の上司を飛び越えて責任者に(仲良しなのです)「◯◯さんをどうにかして❤️」と言ったらしく、私が知らない所で次の日に早く帰れる勤務に変えられていたんです。

それは帰宅した後上司からのラインで知る事となり、私は気まずくなってしまいました。

状況を話したら分かってくれましたが。ホッ。

私としたら上司に頼んだので、それより上の人には言うつもりは無かったのですが、女の子の鶴の一声で決まっちゃうんだ…

それは言葉の力というよりも、感情が先行している気がしました。


その日私は、朝一番から色々な事があってテンションが下がる一方でした。

そんな日は負の連鎖です。

朝から立て続けに「これ要りません」とレジで返してくる人が連続5人も。

私のレジには、オレンジ、漬物、たまご、お菓子、野菜etc

何故ここで返す💢

最後の方では多分顔に出てしまったと思います。要らないものを店内に置かれるよりはレジで渡してくれた方が良いので、普段は受け入れられる事も、自分の精神状態でこんなにも違うんだと実感しました。

それは私の反省点です。


その日、女の子から頼まれた責任者は自分の部下に私の勤務をどうにかするように指示したようなのです。

その時点で私は何も知らない。

仕事の後買い物をしていたらその人が

「◯◯さん、薬がないんだって❓何故❓」

から始まり

「休みの日に行けなかったの」

「母の病院とか人間ドック、おばさんが亡くなったりして…」

「優先順位があるでしょ❓」

「えっ、私は母やおばさんを優先します、おかしいですか」

「だったら近くの遅くまでやっている病院で薬だけとか貰えないの」

「もういいです」

私としたら、ただ言いがかりをつけられたような気持ちになり不愉快でした。

そんな言葉で終わらせた自分も嫌でした。

帰宅したら上司からのラインで全てを知る事となったのですが。


次の日友達からメールがあって

「上から指示された人(50才くらいの男性)は◯◯さんに悪い対応をしたと落ち込んでたよ、家に電話しようかと言ってた」

私は友達に伝えました。

「その人には優しい言葉を今までたくさんかけてきてもらっているので、この前のことはもう忘れていると伝えてね。そちらこそ態度に出してしまったと思う。

もう何とも思っていないと伝えてね」

これで締めくくる事が出来ました。受けた恩は倍返し。

これって、私が読者をさせていただいてる方から教えていただいた言葉。

有り難いです。

嫌な言葉をずっと覚えていても何にも生まれないですよね。

でも、そんな私が今でも忘れられない意地悪な言葉。

今日話すことによって忘れたいので話しますね。

もう10年以上も前。

私が子供達と新しい生活を始めようとしていた時の話です。

今の職場とは違う所に居ました。

買い物に来た女性。

三男の同級生のお母さんです。旦那さん同士が飲み友達で子供が同じ幼稚園だったので顔見知りでしたが、話した事は殆どなくて親しくはありませんでした。

久しぶりに会ったその人は私に

「旦那さん元気❓」と言いました。同級生の母親だったら普通は「◯◯ちゃん元気」じゃないの。

それに、我が家の事は知っているのに…

私は「もうずっと会っていないので分かりません(しかも旦那さんじゃないし…)」

と答えました。

その人は満足した顔をして帰って行きました。

それを聞きたかったんだなって思いました。

私はその日の、その人の目を忘れることができないんです。顔は覚えていないのに…

言葉には魂が有ると友達が話しました。私にメールをくれた子です。10才も年下ですが、タメ口で私の事を《妖怪ちゃん》と呼びます。その子は言っていました。

植物に罵声を浴びせたら枯れるのが早いそうです。

悪い言葉は負の連鎖になり、良い言葉からは良いオーラが生まれる。言葉は生き物なんだと思いました。

この、はてなのブログの方はみなさん素敵な言葉を持っています。

ありがとう、と素直に言える心を教えていただきました。

そして、私が辛い時のさり気ない優しい言葉はかけがえのない宝物となりました。

本当に不思議です。

辛い時、ひとりで悶々としていると優しい言葉が届くのです。

その言葉は、単なる文字などではなくて、魂を感じました。

そして言葉は、送り手と受け手によって微妙に違うのでしょう。同じ言葉でも理解が異なる場合も有ります。

でも、送り手に悪意が無ければ、それはきっと優しい言葉として受け止められる事でしょう。

妖怪と言われたら

「私は砂かけ婆か💢」と思ってしまうかもしれませんが、その子に言われると

猫娘のように可愛いんだね」そこまでは行かなくとも、少なくとも悪意は感じません。

逆に、言葉としては褒め言葉なんだけれど、褒められた気がしない、そういう事もないですか❓

前述の勤務を指示された人は私に会うと

「永遠のお姫様😬)すれ違いざまに言います。

誉め殺しそのものです。

いじられやすいキャラなので仕方ないと自分を慰めます。

自分が不快な思いをした言葉は使わないようにしよう、そんな風に学んだ私です。

実際に目の前に居て話すと、その時の表情とか口調が言葉の理解にプラスされます。

なので言葉としては褒め言葉に聞こえてもそう受け取れない時が有ったり、内容が辛辣でも気にならなかったりするんですね。

SNSの世界では文字だけの繋がりになります。

読者をさせて頂いている皆様は、その言葉に優しさ、人柄が現れています。

それって凄い事だと今更ながら思います。

いつも助けて下さり、ほんとうにありがとうございます。


昨日今日、連休でしたが色々忙しく、今日ももうこんな時間です。

最近は夢ちゃんの可愛い写真も撮る余裕が無く過ごしてしまいました。

明日からは多少早く帰る事が出来るかと思います。

今日は小春日和でしたが富士山は顔を出しませんでした。f:id:JunchanObachan:20181027154700j:plainこれは23日です。

多少笠をかぶった感じで、そのあと天候は崩れました。 

富士山の笠雲予報は良く当たります。

明日は晴れるといいな、そんな風に思います。

晴れの日がやっぱり好きです。

皆様のところにも、優しい日差しが届きますように。




青空と富士山

曇り空の日々が続いたあと、昨日は雲ひとつない空を見る事が出来ました。f:id:JunchanObachan:20181022063310j:plain空には色々な表情が有ります。

雲がたくさん浮かんでいると、楽しそうだったり、寂しそうだったり、少し怖く見えたりもして、色々な空想をしてしまいます。

昨日はキャンパスには何も描いてありませんでした。

雄大な富士山の姿が際立ちます。f:id:JunchanObachan:20181022064412j:plain

拡大しました。

5合目辺りまで積もりました。


ここ数日ですが、忙しかったのも有るのですが


正直に話しますね、気持ちが沈んでしまっていたんです。

石川啄木の『一握の砂』が心に留まります。

ぢっと手を見る

この一節が…

私は今は電話を殆ど、いえ、全くしないのですが

子供達と4人での生活を始めた頃 

友達に電話をして

石川啄木の詩が頭に浮かんで、自分の掌を見たんだよ

そこまで話したら涙が出てきてしまったのを覚えています。

5才年下のその友達が、なんて言って慰めてくれたのかは全く覚えていないのですが、気持ちが楽になったのだけは記憶に残っています。

あの時は、強い心を持って決断したことでも不安が有ったのでしょう。

友達は深く聞くことはしませんでした。涙のわけも。

私が言えば聞くけれど、無理に言わなくてもいいよ、そんな感じでした。

いつの時もひとりではなかった。


昨日までの記事に⭐️コメントありがとうございます。

思うように訪問できなくてすみません。

今日は仕事は休みです。

私もとょっとやすみますね。

こんな時、引きこもりにならずにいられるのは、夢ちゃんのおかげです。

外に行くためには、お風呂にも入って、そして化粧もして^_^

やすみますが妖怪にはならずにすみそうです。

一足早い冬

実は今、心配な事があります。

ここの所お休みは母の通院、そして親戚に不幸が有ったりして自分の通院が出来ていませんでした。

整形外科のAKAは金曜日の予約をキャンセルしたので、次は来週となり2週間開いてしまいます。

それは何とかやり過ごすにしても、心臓の方の通院も出来ていない為に、アダラートCRという血圧の薬を切らしている現状…

今週の金曜日に行ったら主治医に怒られるだろうなぁ。

って、怒られるから悪いのではなくて、薬を切らして発作が起きたらどうするのという話です。

私の場合高血圧にはボーダーラインなので、それに関しては薬は服用する必要は無いのですが、3年前に発作が起きてしまった為に薬を服用する様になった次第です。

血管が詰まっている訳ではなくて、ストレスにより冠動脈が振動し血管が細くなり苦しくなるという流れです。

その時はまず喉の奥が詰まった様な感じから、胸が苦しくなり背中まで痛くなってうずくまる感じになります。

幸運なことにこの2年発作に見舞われる事が無く、医師が「お守り代わりに」と言って処方するニトログリセリンは役目を全うする事なく消費期限を迎えて、この春に新しいものに変えました。

これは本当に幸せな事です。

でも、私の中には不安が常に有ります。

これは姉のご近所の話です。

ある朝、奥さんは食事の支度をしている時に胸の痛みを感じて、念のため救急車を呼んだそうです。

来るまでの間、旦那さんに自分の保険証の準備とか伝えて救急車に乗った…病院に着く前に亡くなったそうです。

その人は通院歴は無かったそうです。

いつだったか主治医にその話をした所

「そんなのは人それぞれ、人によって置かれた状況も全然ちがうでしょ。自分は自分、気にしすぎてそれがストレスになり発作を誘発する方が危険ですよ」と一笑されました。

私が苦しくなったら、夢ちゃんは救急車呼んでくれるかな(^^)

なるようになるさ。

色々考えてしまった今夜

昔の写真を取り出してみました。 

今の家に越して数年経った頃大雪に見舞われました。

ここは雪国ではないのですが、大体4年に1回くらいの割合でドカ雪になります。 

その時の私は、下の2人の息子も幼くて、ワンコのムクも生まれて、仕事は無理のない様に昼4時間だけ働いていました。

今よりもずっと賑やかだった我が家。f:id:JunchanObachan:20181020211217p:plainカーポートの屋根に届くくらい積もりました。

幼かった三男。

小学校1年生だと思います。その時ムクは1才。6才の年齢差はこの時すでに無くなっていて、ムクは三男を自分と弟と思っていた様です^_^

いつも一緒にいました。寝るのも遊ぶのも一緒。

ムクは足の指を開いて雪をちゃんと踏みしめています。

そこにはムクが生きた証がある気がしました。

仲良しだったふたり。

いつもムクに食べ物を奪われていた三男。

この写真では、三男はとびきりの笑顔を見せています。

本当はお見せしたいのですが。


勤務先では私が元気になってきたので、最近は容赦なく遅い勤務にあてがわれます。

今日も帰宅は20時近くになってしまいました。 

でも、遅いもの頻繁だと困ると言うつもりでいます。

今夜はお弁当を買ってきてしまいました。 夢ちゃんはマグロをあげました。

2人でいつもより遅い夕飯を食べた後に、思い出に浸ってしまいました。

一足早い冬。

願わくば、今年は降らないで欲しい。

雪の匂い、雪の音、雪の手触り、すべて好き。

でも、雪かきと雪の積もった道路の運転は大変。

現実は厳しいです。

そんな風に思いながらも、初雪という響きは好きで、やっぱり初雪が降ったりすると嬉しくなる。

少し矛盾していますが

今夜は少し早い雪の写真をお届けしました。







寒い風が吹く

ここ数日、気候もそうですが、私の中にも冷たい風が吹いています。

生活していると色々あります。

そんな様々な起こりうる事に対して、流したほうがいい事と、流さずに受け止めた方がいい事、さまざまです。

そんな中で、ひとつの事は解決しました。

昨年の7月15日に起きた追突事故。

6月で相手の保険での治療を終えて今は自分の保険で通院中となっています。

7月の終わり、示談の書類を持って来られた時に、私としては納得のいかないものでした。

私の担当の保険の方は私のことを常々

「◯◯さんは真面目すぎますよ、体が痛いのだから治療を続けて下さい」

と言っていたので、私がサインを拒否した事は意外だったと思います。

私自身も自分にそんな部分が有ったのだと再確認した感じでした。

私が選択したのは、通院日数に対して保険会社の決めた金額を掛けて保証されるというものでしたが、自分の控えておいた通院日数との誤差が有ったのです。

そう、少なく見積もられていたんですね。

そして、勤務先から休業損害の記入をしていただき審査のし直しです。

そちらでの結果が出て、私の中でももう引き伸ばしたくない、スッキリしたいという気持ちが強かったのでサインをしました。

この一年はなんだったのかな…

骨折したので1ヶ月半は休んだけれど、復帰してからは1日も休まずに勤務した。

運悪く冬が想像を絶する寒波襲来で、腕は一向に良くならずエプロンも結べない状態。

2月にはさすがに辛くなり、勤務を短くしてもらった。

思えば、自分が欠勤せずに頑張ったのではなくて、勤務先の人、主治医、そしてはてなの方々、皆さんに助けられて歩いてきた1年だったのだと再確認しました。

なんだったのかと問えば

辛かったけれど、自分にとっては必要な日々であったのだと思えました。

座右の銘は 

「明日を信じる」

今日はハードルが高い事も、明日には少し低くなって跳べるかもしれない、そんな風に思える自分になりたい。

辛さはちょっと消えません。

けれど明日は来るよ、そう思いたい。f:id:JunchanObachan:20181019090902j:plain一昨日の朝、雲が多かったですが、富士山の初雪化粧の姿です。

冬の富士山はとても雄々しく見えます。

今日も天候は悪く、先程から様子を見ていますが、もう行くしかないですね。

夢ちゃんと散歩、行ってきます。

今は、ファンヒーターの前で暖をとっている夢ちゃん。

いつも寄り添ってくれてありがとう。

丸まった背中に呟きます。

「ありがとう」

自分を取り巻く全てのものにそう言いたいです。ゆっくり歩いて行きます。


インフルエンザの流行が始まっているようです。皆様もくれぐれも気をつけて下さいね。