JunchanObachanのブログ

じゅんちゃんおばちゃんの夢日記

春の日の雪

私が中学生の頃です。

入学式が終わって桜が満開の後に大雪になった記憶が有ります。

桜の上に雪が積もるのを初めて見た瞬間でした。

それが、ここ数年は全国的にそういう現象が増えているように思います。f:id:JunchanObachan:20170302011837j:plainf:id:JunchanObachan:20170302012215j:plainこれは15年4月。夢ちゃんと散歩の時に撮ったものです。 

寒い冬を耐えてやっと花を咲かせ、後少しで満開という時に。

でも、桜は強かったです。

その後ちゃんと満開に咲き誇りました。桜は直ぐに散ってしまうイメージだけれど、寒冷地の桜は雪にも耐える強さを持っているのでしょう。


春先の大雪にはもう1つ思い出が有ります。

5年ほど前まで、両親を車で1時間かかる病院に連れて行っていました。

4月も半ば、タイヤをノーマルに交換したら通院日に大雪。

延ばすことは出来ないので行きました。

運転はドキドキです。

一番の関門は途中の長い坂。

何とか無事に往復し

帰宅後は家の前の雪をかいてから父をやっとの思いで玄関まで連れて行きました。

その頃の父は、介助すればゆっくり歩けたので助かりました。車椅子だったらもっと大変だったと思います。

外出も少なくなっていた両親は雪景色のドライブが出来たと思えば、楽しい通院だとも思えます。

もしもその日が晴れだったら、そんなに鮮明に覚えていたろうか❓

あまり起こり得ない事が有ると、心に深く刻まれます。春の日の雪は重くてアクシデントも多いけれど、気温が高いために直ぐに溶けます。だから真冬に降る雪よりは優しい感じが有ります。

好きではないけど、そんな風に両親との思い出を作ってくれた事もそんな思いになるのかもしれません。

でも、今年も出来れば降って欲しくないけれど。

やっぱり桜は満開になり人々を楽しませたら、春風に吹かれている散ってゆく、そんな姿が一番似合います。

今年はに三男の所に行ったら、途中に桃畑がたくさん有るので皆様にお届けできたらと思っています。

実は…外が雪の為に明日の近所の雪かきが気になってしまい目が冴えてしまって(そういう所がストレスの原因なんだろうけど)ひとり呟いてしまいました。


年に一度のレクレーション

今日は勤務先のレクレーションでした。

サービス業の為に休みは年に2回だけ。

1月1日とレクレーションの日です。

私は数年前から引きこもりとなって、勤務先の行事は殆ど欠席でした。


レクレーションの前に従業員に今年はどんな企画が良いのかアンケートを取ってくれます。

 それはバス旅行であったり、バーベキューであったり。

ここ数年は近場の、地元で有名なホテルでのバイキングです。

一昨年は私も参加しました。

実はそのホテルは、私の家から徒歩で5〜6分で行ける場所。

テクテク歩いて参加。 

しかし、その日は生憎の雪でした。

しかも私の引きこもりになった原因の1つ、過敏性大腸症候群が一番悪さをしている頃でも有りました。 

冠攣縮性狭心症もストレスからと言われていたので、全く…という感じです。

その頃は休みの日でもお腹に症状が出ていたので一抹の不安は有ったのですが。

楽しい時間を過ごした後、雪の中歩いて帰宅、家に着いて直ぐに腹痛に襲われました。

やっぱりそうなんだなぁ…

正直ショックでした。


今日は、寒い一日。

その会場からはいつもなら見事な富士山が見えますが、曇りのためにダメでした。 

バイキングの食べ放題の場合、皿は一皿しか使えない所も有りますが、そこは自由です。

とはいえ、私は一回回って載せたらそれで終わり。そうそう食べれらる物ではありません。

(又痛くなったら嫌だし)  

そのあとは様子を見て単品を取りに行くくらい。

いつもはもっとゆっくりできた気がするのだけれど、今日は次に大型の予約がある為に1時間半と決められていました。

主婦はファミレスで4時間も居座る事が出来る事を考えると、あっという間の時間でした。 

部門ごとに席が決まってしまった為に(しかも友達は急な発熱でお休み)

斜め前にはあのおばさんが…

今日は何事もありませんように。

楽しい時間は過ぎていき

13時に迎えを頼んだからと、おばさんは少し早く帰ると言いました。

でもね、お皿にはまだ残っているよ。小さなドリアはスプーンで一杯くらいしか手をつけてない。その他にも。

あ〜あ。

黙ってりゃいいのに私は

「まだ残ってますよ」😰😰

「お父さんは(旦那さん)昼食を食べていないので一緒にうどん屋さんに行くから、ここではもう食べられません」

だったら食べられるだけ持って来いよ… 

そう思ったけど言えませんでした。 

バイキングで残すのはもってのほかですよね。 

しかもそれからうどん屋さんに行ってうどんを食べるって。

そこでも残すんだろうなぁ…

お金を払っているんだから残すのは自分の自由、そういう考えなんですね。

結局は嫌な思いが残りました。

でも、岩塩を振りかけたローストビーフとか、チキンの甘酢あんかけ、握り寿司etc美味しかった。品数は凄く多かったです。スイーツは私は持ってこなかった(見かけと違って辛党)けれど、可愛いケーキ、ゼリー、チョコフォンデュなど充実していました。

お酒も希望者は飲むことが出来ます。真昼間なので私は飲まない方でした。

美味しかったからおばさんは無視。

そして、お腹も痛くなりませんでした。

このまま2つの病が寛解状態でありますように…そう、椎間板ヘルニアも大丈夫です。


追伸です。

職場の店長から、会が始まる前に年度末の特別賞与の明細を頂きました。

パートさんは銀行振込、バイトの人にはギフト券が手渡されました。ボーナスとは違うので、突然で嬉しかったです。

そんな時に、又頑張ろうと思えます。

夢ちゃんに美味しいおやつでも買ってあげよう。

美味しく食べて、少しだけリッチに 、そんな一日でした。



夢ちゃんの寝顔

夢と出会って今年の8月で4年目に入ります。

里親になって譲渡してもらい我が家に来た次の朝、一瞬の隙を見て逃げ出した夢。

普通の出会いではない、責任が有る‼️

必死で追いかけたのが昨日の事のようです。

私は蜘蛛とか、とにかく虫が苦手。

夢は近くの松林に逃げ込みました。

出会って1日も経っていません。

《夢》と呼ばれて何日目だったんだろう…  

ボランティアの方がつけて下さった仮名をそのまま登録したのです。

でも、本人にとっては「何で自分に向かって夢とか言うの❓」だったかもしれませんね。

私は必死で名前を呼んで追いかけました。追いつくはずはありません。

手が届きそうになるとスルッと逃げます。

そして太い二本の松の向こうに逃げました。

その間には蜘蛛の巣がビッシリ😱

今でも寒気がしますが、私はそこを通り抜けたんですよね。

そしたら夢は急にもよおして(失礼します)そういう体制に入ったので素早く抱っこして事なきを得ました。

苦手なんて言ってられない状況だったにしても、今でも冷や汗が出ます。

夢が私の事を信じてくれるまでには随分かかったと思います。

1ヶ月くらいは1畳くらいのスペースから移動する事もなかった夢。

我が家はケージは置かないので、6畳と8畳の部屋を襖を外して自由に出来るようにしていたにもかかわらず、動こうとしなかったのです。そして1ヶ月ほど過ぎた或る夜、夢が居るか心配になりいつものように手で体に触れました。

その時、遠慮がちに私の手のひらをペロリと舐めたんです。

感情を出さなかった夢ちゃんが初めて自分の意思でやってくれた事。

その日を境にゆっくりと、ゆっくりと変わっていきました。

私が心に決めた事は、無理強いをしない。

危ない時とか人に危害を加えそうになるとか、そんな時は叱るしか有りません。

でも、夢は一度もそういう事は無かった。

そして、私の感情を押し付けないようにもしました。

今でもそうですが、私が帰宅してから頬ずりをしたりすると「これって…長くなるのかな💦💦💦」的な顔をします。

そして口をクチャクチャします。

そういう時は直ぐにやめます。

夢は多分、ベタベタした関係が苦手なのでしょう。  

甘えてくるのを待つ日々です。f:id:JunchanObachan:20170227151342j:plain

でも今はこんな風に近くで眠ってくれます。

私がたまに体調悪くて夜中起きてトイレに行ったりすると、夢はお座りをして待っている事が有ります。

「ゴメンね、起こしちゃったね❓」

何にも言いません。

けれど、会話は成立するしている気がします。

「おかあさん、大丈夫❓」

夢の心の声が聞こえます。だから決して一方通行ではない。

散歩の時にもそういう感じです。

用を足した物を片付けているとちゃんと待っています。

「良い子に待ってくれてたね、ありがとう」

そう言うと夢は笑顔で得意そうに歩き始めます。

言葉ではいくらでもコミュニケーションが取れる人間同士でも気持ちが伝わらない事も多々有ります。

昨日のおばさんのように…

私は「ありがとう」と言う言葉が好きです。

素直にそう言えなかった事も有ります。

夢ちゃんがそんな自分を変えてくれたのでしょうか❓

「ありがとう」そう言うと夢は嬉しそうな顔をします。

夢と出会ってから、そういう言葉を言える自分になった気がします。




2日間の研修が終わって思う事

研修は、さすがに疲れました。

サービス業は、どんな店舗でも基本の接客用語というものが有ります。

多少の違いは有るけれど、どれもお客様に対しての《ありがとうございます》《申し訳ございません》《はいかしこまりました》《またお越しくださいませ》

そういった心がけが基準になっていると思います。

過去に勤務したスーパー、ホームセンターもそうでした。

今の勤務先ではその用語が11有って、1日目は皆でそれを復唱しました。

そのほかにもう1つ、基本動作が有って、それは、20人余りの出席者が1人ずつ皆の前で復唱してOKが貰えるまでやります。

トレーナーの人は(女性)とてもユーモアのある方で、つまづいた人には

「は〜い、後でもう一回ね😄」

プレッシャーを与える感じは有りません。

私は…

待つ間のドキドキが嫌なので早いうちに「やります‼️」と早抜けしてしまいました。

それは大正解です。

1日はあっという間に終わりました。

帰る道中、雪がチラホラ。

トンネルを越えると…まさに雪国。

乗り合わせの車のみんなは、全員同じ事を考えました。

…この雪が積もって峠が危ないからと、明日の研修は中止になれば…


普段は雪、降るなって思ってるのにね。


幸か不幸か、雪は全く積もらずに昨日は快晴。

私達は研修2日目に向かいました。

2日目は、お客様との対応事例を参考に、こんな時にどう対処するか、その他細かい業務の確認。

2日目を終えて、疲れはしましたが、とても有意義だったと思いました。

接客というものは、その時々でいろんなケースがあります。

結局は臨機応変が必要とされてしまうけれど、そんな時に咄嗟に間違った判断をしない為には、基本を知っている必要が有るのだと。

基本が有るからこそ、そこから自分なりの判断も生まれるんだと思いました。

でも、どこまでか自分の判断かは重要です。早い段階で上司に任せた方が良い場合もあるし。

結局はマニュアル通りには行かないという事でしょうか。


こんな日の帰り道

私は又、あの差別用語を言ったおばさんにしてやられました。

研修は、乗り合わせで行ったので、私は車を出してくれた人の助手席に居ました。

おばさんは後ろに座っています。

帰りは渋滞していて、やっと峠の手前になった時にそのおばさんは携帯を取り出して

「あと15分くらいで着くから」

その人は免許が無いので、迎えの旦那さんに電話したのです。勤務先までの迎えを頼んだんだろうけど。

私は運転している人に

「15分は無理ですよね」

言ったらおばさんに聞こえたようで

「大丈夫ですよ」

との言葉。

私は心で 

「はっ❓それは乗せてもらっているあなたが言うことかな❓そういう時は電話をする前に運転している人に、後どのくらいかかりますかね❓という言葉は必要では」

人の良い運転者は

「頑張ります」

スピードを上げます。

追い討ちをかけるようにそのおばさんは、疲れているからか夕飯のおかずを中華料理屋かどこかに頼む電話をし始めて

「○時○分位に行きますので餃子を2皿お願いします」

と持ち帰りの電話をしていました。

相変わらずなおばさんでした。

今朝長男にその事話したら

「お母さんは運転している人に、急がないで安全運転で行って下さいね、と言うべきだったよね。事故が無くて良かったけど、そういう事は事故の原因になりかねないから」と言われました。

全く、私は。

運転者には時間を気にしないようにとはサラッとは言ったけど、そういう風に具体的に言ってあげればその人も楽になったんじゃないかと反省しました。

「次からはそうすればいいよ」

子供に教えられるようになった私です。

嬉しいのか、悲しいのか…

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勤務先に着いた時、富士山は夕焼けでした。

お疲れさま、嫌な事は忘れなさい

そう言ってくれてるようでした。

因みに、勤務先に着いたのはおばさんが電話してから30分後でした(笑)

「お守りがわり」という言葉

私は今まで生きてきた中で(岩崎恭子さんを真似てないですよ(笑))

ある言葉に2回出会ったなとふっと思いました。

それは「お守りがわり」という言葉。


20代の頃、2才の長男を連れて県外に旅立つ時、前日から横浜の自宅に一緒に同行し引っ越しの荷造りを手伝ってくれた両親。

横浜での最後の夜は両親と長男、4人で過ごしました。

引っ越しの車を見送った後に、父の運転で転居先に向かいます。

長男は大好きなじいじ、ばあばが居るのではしゃいでいます。

そして、転居先に着き荷物をある程度整理して別れる時に、父はそっと私に或る物を手渡しました。

それは、都市銀行の父のキャッシュカードでした。

「困った時はこれを使いなさい」

言葉少なに。

それからの生活は、若さゆえに耐えられたけれど大変だったと今でも思います。

朝5時半から6時の間に起きて長男を託児所に。午前中の仕事が終わるのが11時半から12時、そして勤務先で昼食をとった後に昼休みです。

私は(今はそんな時間が有ったら迷わずに昼寝しますが)長男との時間を大切にしたくて海に散歩に行ったりデイリーにお菓子を買いに行ったりしていました。

15時頃にはまた出勤。

ホテル業務なのでお客様次第で帰宅時間は変わってきます。

遅い日は22時頃になる事も有りました。


私がその仕事を選んだ事を、父は誰よりも分かっていたと思います。

寮に住んで、託児所も有り、食事も出来る。アパートを借りたとしたら無理だったでしょう。

でも、キツイ仕事だという事も知っていたと思います。

入社後は2週間休みが有りませんでした。

そんな中、深夜私は父に手紙を書きました。

どうせ心配しているのだから、日々の仕事を詳しく書きました。

こんな風だけど、長男が居るので頑張れる、そんな言葉で結んだと思います。

その手紙ですが、父の遺品の中から出てきて今は私の手元に有ります。

父はたとえ離れた場所からでも、波乱万丈な人生を送る娘をずっと見守ってくれていた。


別れの時に父から預かったキャッシュカードは一度も使う事はありませんでした。

それを手にした事で、逆に「使わないように頑張ろう」と思えたのだ。

いくら有ったのかも分かりません。

まさしくそれは私のお守りがわり

いえ、お守りそのものだったと思います。


もう1つのお守りがわりは

「ニトロ」です。

13年の冬に初めて胸の痛みに襲われて、総合病院を受診して、検査の副作用とか色々有りました。

まだ胸の痛みの原因も分からない時に、夜中又発作に襲われて救急で受診した時の医師が循環器の医師でした。

その医師が

「今度痛くなった時の為にお守りがわりに持っていて下さい」

と処方してくれたのがニトロでした。

紆余曲折を経て、出会った今の主治医(開業医)

その医師も処方する時にお守りがわりという言葉を使います。

昨年の5月過ぎに一度発作らしきものが有ってから、今日まで一度も使用する事なく来ています。

出来れば「先生、使用期限が来たので新しいものを下さい」そんな風に言ってみたいと思う私です。


昼下がり、雨も止んで日がさして来ました。

静かな休日、想い出を辿ってみました。


朝の散歩、事故に遭遇

今日はお休みで9時前に散歩に出発💨

昨日一昨日と早い出勤で散歩も慌ただしかったために、今日は日差しの暖かい中ゆっくりと散歩しようと思っていました。

朝は小学校をグルリと回って帰るけれど

「夢、そこの信号の向こうに行こうね」右手には歩車分離信号が有ります。

夢もそのつもりで右側を見た所、異様な気配を感じました。

パトカーの何台も停まっていて、車が横転していました。

野次馬らしき人が沢山います。

そこには行かない事にしました。

10分程歩いてから、帰り道で又その近くに差し掛かると、やっと救急車で運ばれたようです。

「痛かったろうに…」

皆様も車の運転くれぐれも気を付けて下さいね。

その後、いつもとは少し違う場所でパシャり。f:id:JunchanObachan:20170222095759j:plain富士山は穏やかに、そして優しい姿で見守ってくれているようでした。


今ですが、誤って、更新したブログを消してしまいました。

一瞬でも訪問された方がいらっしゃったら申し訳ありませんでした。

美少女、じゅんちゃんというワンコ

14年の春のこと。

その年の1月に亡くしたムクを思い、私は毎夜、犬のボランティアの方のブログを何度も何度も繰り返し訪問し…

そこで心に焼きついたのが、野犬の母から産まれたワンコ、仮名を《じゅんちゃん》新緑の季節、そのじゅんちゃんは成長した庭の草の陰に隠れて上目遣いに見つめていました。

「新緑の季節、じゅんちゃんも隠れがいがあります」ボランティアの方は語っていました。

その子は人馴れしていなくて、譲渡会にも行ける段階ではなくてケアの段階の子でした。

手を触れるとビクンとして固まってしまうような。

同じ名前という事もあって、私はその子の事が気になり始めました。

哀しみを癒すような…でもないし、自分の手元に連れて来たい…まだそんな段階ではない。

不思議な思いでした。

そしてその子は、とっても美人さんでした。

昨年だったか、イケメンゴリラをテレビでとりあげていて、一瞬《えっ👀》と思ったけれど、確かに目元はキリリとしていてイケメンなのです。

人間以外でも当てはまるんですね、美人とかイケメンという表現が。

夏になり、私はその子に会いたいと思い始めました。その子を保護しているボランティアの方は譲渡会を毎週日曜日に開いていて、幸いにも同じ県だったので休みが取れた日曜日に訪れました。

しかし、その日はじゅんちゃんは参加していなかったのです。

その数週間後に他のボランティアの方から後押しされて会いに行った夢と出会ったのです。

それも縁だったのでしょう。

今でも思います。夢とは出会うべくして出会ったんだと。

夢が我が家に来てからも、わたしはちょっぴりそのじゅんちゃんの行方が気になりました。

そして、ボランティアの方に手紙を書きました。

自分の力量では犬を二頭育てるのはギリギリかもしれない、けれどじゅんちゃんを引き取りたいと。

つくづく私とじゅんちゃんは縁が無かったのでしょう。

少しの差で、じゅんちゃんの兄弟犬の里親になった方が名乗りを上げていたのです。

でも、よく考えたらじゅんちゃんにとってはその方が幸せだった。

兄弟と暮らせるのだから。

 

今でもふっと思い出します。

上目遣いに隠れていた幼いじゅんちゃん。

もしかしたら夢と暮らしていたかもしれない子。

幸せでいて下さい。 

今はそう思うばかりです。